2011年09月04日

鎌倉街道探訪記(36)

鎌倉街道探訪記(36)またまた、しばらく間の空いてしまった鎌倉街道です。

吉井町岩井「眞光寺」まで来たところでした。

舗装されてない部分が旧道で鎌倉街道だったというので、少し進んでみましょう。

鎌倉街道探訪記(36)100mほど歩くと、道端に小さな祠が建っていました。

失礼して中を覗きこんでみると、木のお宮の中に大黒様がいらっしゃいましたが・・・。

鎌倉街道探訪記(36)
その下に、ぽっかりと穴が開いています。

どうやら、井戸の跡のようです。
鎌倉街道探訪記(36)
これは、あとで地元の方から教えて頂いたのですが、「飯野の井戸神様」と呼んでいるものだそうです。

命の源である水を与えてくれていた井戸は、大切にされ、井戸神様の住む神聖な場所とされていました。
昔から、「使わなくなった井戸をそのまま埋めてはいけない。」と言われています。

そういえば、ここの地名は「岩井」といいますが、これも井戸に関係するようです。

明徳年中(1390~93)新田の浪人で岡野という人がこの地に住み、岩の間から滴り落ちる水を見て井戸を掘り、この地を「岩井」と名付けたと伝えられています。(入野村郷土誌)
岡野という名で思い出すのは、「眞光寺」を建立したのも、名主の岡野氏でした。

もしかすると、「飯野の井戸神様」ではなくて、「岡野の井戸神様」かも知れないと勝手に思ってみたのですが・・・。

鎌倉街道探訪記(36)「井戸神様」のすぐそばの石垣に、ちょっと不自然な石があるのを発見しました。

ひとつだけ大きくて、他の石組みに較べてやけに飛び出しています。

しかも、模様が何となくの頭に見えませんか?

井戸にはよくが住みついていたりするもんですが、昔の人は、それを水を守る龍神の化身として崇めたようです。
の頭に似たこの石も、きっとそんな意味があるに違いない、と、またまた勝手に思ってみました。

鎌倉街道探訪記(36)新道は真っ直ぐ続いていますが、この道ができるまでの旧道は、「飯野自動車修理工場」の角から右へカーブしていたそうです。

そのことを教えてくれたのは、社長の飯野忠治さんでした。
この辺を行ったり来たりしている私を見て、よっぽど気になったのでしょう。

鎌倉街道探訪記(36)曲がるとすぐ十字路があって、飯野さんのお話しではカーブミラーの角を左に入るのが、鎌倉街道と伝承されているそうです。

鎌倉街道探訪記(36)


うーん、そう見ればそんな雰囲気でもあるような・・・。
鎌倉街道探訪記(36)
土の道を進んでいくと、どうみても畑の中の農道へ出てきてしまった感じです。

あー、やっぱり幻の鎌倉街道か、と諦めかけたのですが・・・。

鎌倉街道探訪記(36)その先の草むらに、道祖神が隠れていました。
ここが昔、街道であったことの証でしょう。

ここまで来ると、鏑川は目と鼻の先です。
ここから渡船場へ下りたとも思われますが、飯野さんの話では渡船場はもう少し上流だったそうです。
そう言われてみると、畑道は前方の白い家に向かってまだ続いています。

鎌倉街道探訪記(36)白い家の向こう側へ回ってみると、途切れた道の延長線上にまた道があり、教えて頂いた渡船場跡に真っ直ぐつながる感じです。
鎌倉街道探訪記(36)



ここに、昭和の初期まで「岩井の渡し」と呼ばれる渡船場があったのだそうです。

明治三十五年(1902)対岸の三ツ木撚糸工場ができ、女工さんたちが通うために「岩井の渡し」ができたたといいます。
渡し舟が出たのは春から秋までで、水の減る冬には平板二枚を並べただけの仮橋を、太い針金につかまりながら渡ったようです。(春山基二氏著「三ツ木物語」)

鏑川を渡れば藤岡市です。
三ツ木→白石→緑埜から庚申山の麓を通って本郷へ向かうのが、鎌倉街道の一つと伝わっています。

さて、昨年10月から歩き始めた鎌倉街道、やっと高崎の南端にたどり着きました。
途中ずいぶん寄り道をしましたが、ずっとお付き合い頂いた皆様に厚く御礼申し上げます。

願わくば、鎌倉街道の案内板が整備され、多くの方に楽しみながら歩いて頂けたらな、と思います。


【今日の散歩道】
鎌倉街道探訪記(36)


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Posted by 迷道院高崎 at 12:13
Comments(4)鎌倉街道
この記事へのコメント
鎌倉街道探訪記(1)からざっと見させていただきました。「お疲れさま!」と言わせてください。
昔の道を探す難しさに挑戦されている迷道院さんの高崎を思う気持ちが、より多くの方に届きますように…。
Posted by 風子  at 2011年09月07日 21:14
>風子さん

えっ!
鎌倉街道探訪記、最初からご覧頂いたのですか!
それこそ、「お疲れさま!」です。

皆さんからの温かいコメントが、後押しをしてくれました。
本当に、ありがとうございました!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年09月07日 22:57
コメント、遅くなりました。

隠士、いつも入魂の探訪記のUP、楽しみにしています。

今回のコメント、一言だけ。

>「井戸神様」のすぐそばの石垣に、ちょっと不自然な石があるのを発見しました。

ひとつだけ大きくて、他の石組みに較べてやけに飛び出しています。

しかも、模様が何となく蛇の頭に見えませんか?

・・・・
最高です。私にも蛇に見えました。

資料の事前の読み込み、入念な探訪もスゴイと思うのですが、それ以上にスゴいのは、この想像力。
古人との魂の共振-交流ができる隠士の想像力あってこそ。

夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2011年09月09日 21:59
>夢寅さん

ご無沙汰です!
と言っても、いつもブログを拝見してるので、ご無沙汰してる感じはしないのですが。

想像力をお褒め頂き、恐縮です。
その大体は、勝手な妄想に終わってるんですが(^^ゞ

学者や研究者でしたら、仮説を検証しなくてはいけないのでしょうが、そこは素人の気楽さ(無責任さ?)で。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年09月09日 22:54
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