2011年05月15日

鎌倉街道探訪記(28)

山名八幡宮へ行ったら、ぜひ見てみたいと思っていたものがありました。

グンブロガー・捨蚕さんに教えて頂いた、
「中村家三世の碑」です。

石段と社務所の間の坂道を上って行った左手に、その大きな碑は建っています。

その三世の中で、最も興味あるのが中村俊達という人です。

過去記事「嗚呼、高崎藩士」の中で下仁田戦争のことをちょこっと書きましたが、それに従軍した山名村の医師です。
下仁田へ向かう高崎藩勢が山名村を通過する時、その中に医師が二人しかいないのを見て自ら志願し、引き留める妻を振り切って従軍したという人物です。

もっと知りたい方は、捨蚕さんの記事をご覧ください。
    ◇山名八幡物語(七)・中村俊達のこと(1)
    ◇山名八幡物語(八)・中村俊達のこと(2)
    ◇山名八幡物語(九)・中村俊達のこと(3)

参道に戻って手水舎の前に来ると、いきなり水が出てきたのでびっくりしました。

天井を見て、分かりました。
が見張ってたんですね。


手水舎の隣には、大きな馬の銅像があります。

傍らの看板には、
この神馬像は、全国の山名氏の末裔が奉納したもので、神馬は西国を向いている。」
と書かれていますが、意味がよく分かりません。

山名八幡宮の由緒が、HPに書かれています。
社伝によればこの八幡宮は源氏の一族新田氏の祖義重の子、義範が山名城にあって安元年中(1175~77)に豊前の国(大分県)の宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営し武神として崇敬したのを始めとしている。」

兄二人が新田姓を継ぎ新田の所領を分与されているのに対し、義範は、新田から離れた片岡郡山宗(やまな)郷のわずかな所領に移り、自らを山名三郎と名乗って山名氏の祖となります。
どんな事情があったか分かりませんが、あまり優遇されていたとは言えないようです。

その山名氏が大きく興隆したのは、八代目・時氏の時代からです。
足利尊氏に従った山名時氏は、数々の戦功により建武四年(1341)伯耆国(現・鳥取県)の守護職に任ぜられます。
その後、益々力を付けた山名氏の一族は、さらに丹後・紀伊・因幡・丹波・山城・和泉・美作・但馬・備後・播磨と、合わせて11ヶ国もの守護に納まります。
当時は全国が66ヶ国に分けられており、山名氏はその6分の1の国を治めていたことから、「六分の一殿」と言われたそうです。

奉納された神馬は、かつて山名氏が隆盛を誇っていた山陰・山陽地方を向いているということでしょう。


武運の神・八幡神は、白馬に乗って現れるといいます。

そのためか、山名八幡宮随身門白馬が前面に安置され、お馴染みの矢大臣・左大臣は裏側に控えているという、珍しいものです。

そういえば、昭和九年(1934)に山名八幡宮の裏山に御野立された
昭和天皇
も、白雪という名の白馬に乗った現人神(あらひとがみ)でした。


【中村家三世の碑】





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Posted by 迷道院高崎 at 19:33
Comments(4)鎌倉街道
この記事へのコメント
手水舎も大絵馬の獅子頭も、
吉永得像さんの作です。 
高崎の散歩道のイラスト絵の作者ですね。
先代の宮司さんの時代です。

中村俊達さんの事、山名一族の興亡の事、
色々な話がありますが・・・

道は遠く鎌倉へと、続きます。

次回が楽しみです。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2011年05月17日 09:45
>捨蚕さん

ここのところ、なかなか時間が取れなくて、勝手に捨蚕さんの記事、沢山リンクさせてもらっちゃいましたm(__)m

吉永草玄さんと吉永得像さんは、同一人物でしたか。
迫力のある天井画ですね。

捨蚕さんの「山名一族シリーズ」、楽しみにしてます!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年05月17日 19:12
お久しぶりです。

山名や根小屋は、かつて僕が住んでいた倉賀野の川向こうです。遠足で「山之上の碑」や「金沢の碑」に行きました。

あの山の上にはお城があったんだよ…と父から聞き、睦町の国鉄官舎の窓から眺めていました。夜はかすかに上信電鉄の汽笛も聞こえました。

しかし北風に乗って佐野の国鉄操車場での車両連結の音が、ガッシャーン!!鉄人28号の戦いのようで、ドキドキしながら、布団をかぶってました
Posted by 忠やん  at 2011年05月20日 22:57
>忠やんさん

夜に上信電鉄の汽笛がかすかに聞こえるなんて、いいですねー。
私も夜汽車を見るのが好きでした。

それにしても、連結の音で鉄人28号を連想するとは、いやいや、なかなか!
月刊「少年」!
なつかしいです!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年05月21日 09:30
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