2011年01月16日

鎌倉街道探訪記(16)

佐野橋の近くに、「常世(つねよ)神社」があります。

謡曲「鉢木」で有名な、佐野源左衛門常世の居宅跡と伝えられています。

昭和二年(1927)発行の「高崎市史」に、こんな記述があります。

喬木脩竹に介し、鬱蒼たり。中に小石祠あり。土人之を常世神社と称す。
上野風土記上野志ならびにいふ、常世は下野佐野の人なり。その領地伯父源藤太常景の横領する所となり、この地に来たり蟄居すと。
或いは然
(さ)らん。(もしかするとそうかも知れない)

狭い参道を進むと、「お願い 扉を開けて自由にご覧ください。
お帰りの時閉めて下さい。」
という、風変わりな看板が建っています。



言われる通り左の掲示板のような扉を開けると、佐野源左衛門常世が鉢の木を鉈で伐っているところの絵が現れました。

謡曲「鉢木」のあらすじは皆さんご存知と思いますが、原文はこんな粋な文句で始まります。

信濃なる、浅間の岳に立つ煙、遠近人(おちこちびと)の袖寒く、吹くや嵐の大井山、捨つる身になき伴の里。今ぞ憂き世を離れ坂、墨の衣の碓氷川、下す筏の板鼻や、佐野の渡りに着きにけり。
急ぎ侯ふほどに、これははや上野の国佐野のわたりに着きて候、あまりの大雪にて候ふほどに、この所に宿を借り泊まらばやと思ひ候。

佐野源左衛門常世の墓といわれるものが、栃木県佐野市鉢木町願成寺にあるので、謡曲「鉢木」の舞台は栃木県佐野だと思っている人もいるようですが、上の文からもはっきりと高崎佐野であることが分かります。

宿を借りたいと思っているのは、最明寺入道という修行僧。
その実は、鎌倉幕府第五代執権の北条時頼です。
病に倒れたため、執権職を義兄の北条長時に譲って出家し、諸国を巡歴していました。
常世は一夜の宿を乞われますが、こういって断ります。

易きほどのおんことにて侯へども、あまりに見苦しく候ふほどに、お宿はかなひ候ふまじ、この山端をあなたへ十八町ほどおん出で候へば、山本の里と申して泊まりの候、日の暮れぬ先にただひと足もおん急ぎ候ヘ
おん痛はしくは侯へども、われら二人さへ住みかねたる体にて候ふほどに、なかなか思ひも寄らず侯。

「山本の里」というのは、山名「山ノ上碑」の下辺りだったそうです。
一旦は断ったものの気の毒に思った常世は、僧の後を追って連れ戻します。
修行僧に、わずかに残る粟(あわ)飯をふるまい、大切にしていた鉢の木を切って囲炉裏にくべ、「いざ鎌倉」の心意気を語るクライマックス・シーンとなります。

それがしもと世にありし時は、鉢の木に好きあまた持ちて侯へども、かやうに散々の体と罷り成り、いやいや木好きも無用と存じ、皆人に参らせて候ふさりながら、いまだ三本持ちて侯、あの雪持ちたる木にて侯、これは梅桜松にて、それがしが秘蔵にて候へども、今夜のおもてなしに、この木を切り火に焚いてあて申さう。

かやうに落ちぶれては侯へども、今にてもあれ鎌倉におん大事出で来るならば、千切れたりともこの具足取つて投げ掛け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に弛せ参じ着到に付き、さて合戦始まらば、敵大勢ありとても、一番に破(わ)つて入り、思ふ敵と寄り合ひ、打ち合ひて死なんこの身の、このままならば徒らに、飢ゑに疲れて死なん命、なんぼう無念のことざうぞ。

さて、それから暫く日が経って、鎌倉幕府から諸国へ非常招集がかかります。
粗末な装備で駆け付けた常世は、あの雪の夜の修行僧が北条時頼であったことを知ります。
時頼は、常世に親しく声を掛け、横領された領地を戻し、さらに、常世が薪にした梅桜松の鉢の木に因んで、加賀の梅田、越中の桜井、上野の松枝(松井田)をも所領として与えたというお話です。

参道のいちばん奥に、こじんまりとした社があります。







この中に、「土人之を常世神社と称」したという石祠が納められています。

石祠の前には、「佐野源左衛門常世神社」と書かれたお札と、「いざ鎌倉」常世の姿と思われる絵札とがあります。

また石祠の上には、観世流長野滔声会の奉納額と、赤坂町の老舗菓子店・七ふく(現・鉢の木七冨久)の奉納額が掲げられていました。

「常世神社」「鉢の木七冨久」さんも、どちらかといえば町の中心から離れてはいますが、由緒ある歴史に因んだ名所と銘菓です。
高崎の観光資源として、もっともっと市民に知られていてもよいように思います。

【常世神社】


【鉢の木七冨久】







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Posted by 迷道院高崎 at 21:33
Comments(16)鎌倉街道
この記事へのコメント
謡曲「鉢木」の紹介を
ありがとうございます。

母校、佐野小学校のクラス名は
梅組、松組、桜組、でした。
4クラスの時は
竹組ができました。
わたしは1年桜組
担任は内藤市司先生でした。
絵の好きな先生でした。

現在はどんなクラス名を
使っているのか
分かりませんが
謡曲「鉢木」のストーリーは
小さい頃から
聞いていました。
Posted by いちじん  at 2011年01月17日 09:49
>いちじんさん

クラス名が梅組、松組、桜組というのは、なんと素晴らしい!
児童に、謡曲「鉢木」の話を伝えているのも、素晴らしい郷土教育ですね。
先生方の郷土愛を感じます。

今も続けられていると、いいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月17日 22:24
亡父が宝生流の謡曲をならつていて、
よく聞かされました。

山本の里も、いい里ですよ。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2011年01月17日 22:57
>捨蚕さん

鎌倉街道探訪も遅々として進みませんが、山本の里へも行きたいと思っています。
山名のこと、いろいろ教えてください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月17日 23:25
迷道院さま
本記事に関するコメントではありませんが、
初めて書き込みをさせていただきます。
ちょっと長くなりますが、自己紹介から。
昭和27年並榎生まれの上並榎育ち、おそらく
捨蚕さんとは時期・場所ともにニアピンです。
高高(70期)を卒業し受験で東京に出てからだいぶたちますが、いまだに上州言葉がぬけず、「ちょっと行ってくら~」で職場の若者をきょとんとさせています。迷道院さんほどではありませんが、高崎愛でして、子どものころからの古墳好き。遅まきながら、数年前より「五万石騒動」に関心をもち、いろいろと勉強をはじめました。
というのも、映像制作関係の生業についていることもあり、郷土の歴史をモチーフに何かお話ができないかと考えたわけです。
「五万石騒動」に関しては、佐藤行男先生訳の細野格城「五万石騒動」を読んだのをきっかけに佐藤先生のご厚意で様々な資料やアドバイスをいただいたりしました。しかし、東京で他県の出身者に本件を紹介しても「あぁ、農民一揆ね。どこでもあったじゃん」と冷たい反応ばかり。これでは、お話づくりは難しい、と思っていたところ、ふと気になったのが獄中の丸茂元冶郎でした。彼は岩鼻で西南戦争の士族と出会い、狂歌をかわしているらしい、その資料が残っているらしい・・・。小生は歴史好きではありますが、仕事柄、教科書的な権力史にはあまり関心がありません。その一方で、群馬の農民のせがれと九州の士族との獄中での出会いには、何やら日本史的なヒューマン・ストーリーの匂いを強く感じました。てな想いを温めていたところ、迷道院さんのブログを読むと、鬼丸さん狂歌本の発見者がいる!!!いちじんさん!!!すげぇ~~!!
といった次第です。(やれやれ)やっと本題にたどりつきました。
さっそく、いちじんさんと交信する機会が得られないかと、ブログなど検索しましたが、見当たらず、迷道院さんのブログにこうしてお邪魔したわけです。
ちなみに、別のサイトhttp://gomangoku.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4b94.html
で、一文を掲載しているのも、いちじんさんでしょうか。鬼丸さんの存在を熊本県の現地にまで探索されているご努力に、敬服いたしました。
迷道院さんのブログから、高崎の歴史を通じて、様々な人のつながりが生まれているのだなぁ、と感慨です。・・・長々と申し訳ありません。もし機会がありましたら、いちじんさんにお話をうかがいたいものです。
Posted by 碓井  at 2011年01月18日 13:22
謡曲「鉢木」について、懐かしく読ませていただきました。
碓氷川や板鼻という地名が出ていることがうれしくて・・・
拙ブログの「板鼻・七不思議伝説〈3〉」の
「逆さモミジ伝説」を読み返してみました。

「常世神社」ですか・・・
佐野源左衛門常世の居宅跡が、思いがけず近く
にあったのですね。
これも何かのご縁。機会がありましたら訪れて
みたいと思います^^。
Posted by 風子風子  at 2011年01月18日 19:51
>碓井様

ご丁寧なコメントを頂き、ありがとうございました。
もしかして、イメージサイエンスさんのお仕事をしている碓井様でしょうか?

お尋ねのいちじんさんですが、高崎五万石騒動研究会に所属している方です。
コメントに書いて頂いたURLも、ご明察の通りいちじんさんのサイトです。
碓井様のメールアドレスを、いちじんさんにご連絡しておきますので、しばしお待ちください。

本当に、ブログのおかげでいろいろな方とお知り合いになることができています。
碓井様とお知り合いになれたことで、高崎五万石騒動の伝承に、またひとつの進展があるような予感がしております。

今後とも宜しくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月18日 21:06
>風子さん

風子さんの「逆さモミジ伝説」、以前拝見してコメントまでしてたのに失念していました。
すみません、子どもの頃から記憶力が弱いもので・・・。

もしかすると、称名寺に宿泊したのは常世ではなくて、最明寺入道時頼だったのかも知れませんね。

伝承って、ほんっとに面白いですねー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月18日 21:34
迷道院さま
早速のご手配、ありがとうございます。
いちじんさんより、メールを拝受いたしました。浅学ゆえの御無礼、ご容赦ください。
でも、元冶郎さんに、一歩近づけた感じがします。
ところで、えっ、弊社イメージサイエンスなどという零細企業をご存じとは!
迷道院さんはどのようなお方なのでしょうか?
と思いつつ、五万石関連のブログ記事を再度読みかえしました。途中、風子さんブログで朝日と朝焼けの雲を堪能し、
(*というのも、雲にはこだわりがありまして、東京三鷹の雲の生態研究をしております。:YouTube kogenin2009 チャンネル。
でも、空-雲は、やはり群馬が素晴らしい。
これは帰郷した際にいつも感ずることです。
空の深さ、雲の色彩が、他とはちょっと違います。)
で、また、鎌倉街道探訪記にもどって、読み進んでおりましたら、荘厳寺に出くわしました。我が家の菩提寺で、ご住職にはお世話になっております。
というのも、(私事になりますが)祖父の代に一家は長らく佐野に居住しておりました。祖父の稼業は石工でして、鎌倉街道探訪記(9)に登場する琴平神社の天狗は祖父の作らしいです。父によると、確か昭和12-13年頃の作とか。探訪記にもありましたが、あの境内には、稲荷あり琴平宮あり飯玉社あり天満宮ありと、ご利益がありそうなものすべてがそろったワンダーランド。なんともおおらかというか、大好きな場所です。もしかしたら高崎市内でも屈指のパワースポットかもしれません。
あっ、すいません。またまた、たらたらと長居をしてしました。ご容赦を。
Posted by 碓井隆志  at 2011年01月19日 11:53
>碓井隆志様

「言葉の力をはぐくむ」というDVDを作成されてますね。
私も碓井様がどのような方なのか、少し調べさせて頂きました(^_^)
そんなすごい方が私ごときのブログにコメントをして下さったとは、光栄至極です。

私は、ただの知ったかぶりの隠居です。
みなさんのおかげで、すごい方々とご縁ができて、自分の力を遥かに超えたブログにして頂いております。

碓井様の「雲の生態研究」のYouTube、拝見しました。
とても素敵な映像で、まるで自分が雲の中を飛んでいるような錯覚に陥りました。

荘厳寺が菩提寺で、おじいさまが琴平神社の天狗像を造られたというのも、すごいご縁ですね。
本当に、信じられないようなつながりです。

高崎へお帰りの時には、ぜひご一報ください。
いちじんさんと一緒に、いろいろなお話ができたら嬉しいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月19日 21:17
碓井隆志様

五万石騒動に関心を
お持ちいただき嬉しく思います。
さらに丸茂元治郎の生き方に
興味があるとお聞きして、
驚いています。

よろしくお願いします。

それから、
荘厳寺は妻の実家の
菩提寺(数年前からなのですが)です。
住職さんには
大変お世話になっています。
過日、高崎五万石騒動かるたを
お持ちしたところです。
Posted by いちじん  at 2011年01月20日 09:03
迷道院さま

「言葉の力をはぐくむ」= 中学生向け国語DVD教材です(地味・ヘンドリックス)。
ウェブ検索でこんなこともばれちゃうんですね。悪いことはできないもんです。あわてて筆名を変えようとしましたが、後の祭り。

さて、迷道院さんブログでは新参者なので、過去ログの探訪を始めました。まずは大作の「三国街道」です。
すごいですね。変幻自在の寄り道フィールドワーク、そして文献解読術、様々なインスピレーション。夢寅さんご指摘のように、まさに迷道院探偵です。
中でも、シリーズ冒頭の「小鳥の首塚」で、回を追うごとに盛り上がる探索の展開、うまいっす。
いつの時代にも、いかれた権力者はいる(?)ということですね。
ちなみに、枝葉末節好きのミーハー(死語?)として気になったのは、福田先生の文献に登場する「白馬童子」です。あの人はなんだったんでしょうか。

奇遇なことに、先週のことですが、中学の同級生から「高渋線とはなみずき通りの間の環状線沿いにあるもんじゃ屋さんでクラス会やるから、来ないか」といわれ、高崎駅前でしんとう村役場行きのバスにのって小鳥方面を目指しましました。どうやら行き過ぎたらしく、バスの行く手に新幹線の高架が見えてきます。あわててバスを降りましたが、あのあたり、旧三国街道の経路を北上していたわけですね。引き返して、もんじゃへと歩きました。

いちじんさま

荘厳寺つながり、こちらも不思議なご縁です。
今後ともよろしくお願いします。

新参者が、またまたスペースを使いすぎました。ご容赦を。
Posted by kogenin2009(碓井隆志)  at 2011年01月20日 13:05
>いちじんさん

碓井様へのご対応、ありがとうございました。

五万石騒動について関心を持たれている方が東京にいらっしゃるというのは、嬉しいことですね。

それにしても、ご縁のつながりには驚きっぱなしです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月20日 22:44
>碓井様

検索でバレても、いいことをしている方は問題ありません(^_^)

過去記事まで読んで頂き、嬉しい限りです。

そのもんじゃ屋とは、「なんじゃもんじゃ」さんでしょうかね?
首塚もすぐ近くで、五万石騒動で斬首された小島文次郎と、獄死した山田勝弥の墓も近くにあります。

また高崎においでの節には、お立ち寄りください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月20日 23:01
はい、「なんじゃもんじゃ」さんです。今回初めて知ったのですが、店を切り盛りしている女将さんは中学(旧四中)の同学年です、むかしから美人でしたが、いまも美人。保存状態が良いようです。
ちなみに女将さんのご主人は、駅前のワシントンホテルのところで「どんどん」というお店をやっているそうです。夫婦でがんばってらっしゃいますので、機会がありましたらお立ち寄りください。

文次郎さん・勝弥さんの墓所。存じております。かつて、お二人の墓めぐりが小生にとって「五万石騒動とは何ぞや?」を始めるきっかけとなった次第です。
Posted by kogenin2009(碓井隆志)  at 2011年01月21日 14:41
>碓井様

おっと、そうでしたか(^^ゞ
二人の墓所巡りがきっかけでしたか。
これは、余計なことを申しました。

「なんじゃもんじゃ」さんの女将さんと同学年だったというのも奇遇でしたね。
「保存状態が良い」という表現、流石です!
一度、行ってみたくなりました(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月21日 21:09
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