2011年01月07日

情報ありがとうございます!

ありがたいことに、拙ブログを読んで下さってる方から、貴重な情報を提供して頂きました。

ひとつは鎌倉街道探訪記(11)でご紹介した、あの、謎の横澤先生の石碑の写真です。

城南プールの真上がご実家だったとコメントをくださった、ちゃかぼーさんから、
「古い写真を整理していましたら、荘厳寺の駐車場にあった横澤先生の石碑が写っている写真がありましたので・・・」
と、左の写真を提供して頂きました。

この写真のおかげで、横澤先生の下のお名前が「友壽」だということが分かりました。

これを手掛かりに、また調査の足を進めることができそうです。
もし、「横澤友壽」という方をご存知の方がいらっしゃいましたら、また情報をご提供願いたいと思います。

もうひとつは、いつも高崎五万石騒動のことを教えて頂いてるいちじんさんが、わざわざ私の家まで届けてくれました。

細野格城著「高崎五万石騒動」を、あさを社が復刻出版した際に、各氏が寄稿した文を栞にしたものだそうです。

その中に、鎌倉街道探訪記(13)で、五万石騒動に関わったという関口弥蔵について、その曾孫にあたる関口ふさのさんが書いた「曽祖父 関口弥蔵」という一文があります。

文中で最もびっくりしたのは、鎌倉街道探訪記(10)に出てくる「避病院」は、もと牢獄の跡だったと書いてあることです。
今まで「避病院」のことを書いてある資料はいくつか見ましたが、牢獄があったという記述には行き当たったことがありません。
もしかすると、敢えて触れることを避けていたのかも知れません。

いつもいつも、読者の皆様のおかげで、拙いブログに深みと広がりを持たせることができています。
本当にありがとうございます。

これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。






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Posted by 迷道院高崎 at 22:05
Comments(6)鎌倉街道
この記事へのコメント
横澤先生の記念碑は
大きかったのですね。
石碑があった時、
前を通っているのに
記憶にありませんでした。

栞を関口さんに
お渡ししようと思っていて
まだだったことを
思い出しました。

横澤先生のこと
明らかになりそうですね。
「高崎五万石騒動かるた」
用意しています。
Posted by いちじん  at 2011年01月08日 10:19
>いちじんさん

そうそう、横澤先生を発見した人には懸賞がついてたんでしたね(^_^)

さて、どなたが発見するでしょうか。
楽しみですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月08日 21:55
避病院のことを、調べております。62歳の男性です。理由は私が3歳のころ赤痢で避病院に隔離されたからです。父も他界し母も認知症でその病院がどこにあったのか突き止めたいのですが、ままになりません。文献も削除され八方ふさがりです。私の入院場所は山口県宇部駅から10キロ範囲とだけとの情報です。どなたかご存知の方はおられませんか。
Posted by JENTLE  at 2013年03月28日 15:54
>JENTLEさん

あー、そうでしたか、3歳の時に。
それでは、ご自身での記憶は残っておられないでしょうね。

山口県の避病院ですか。
私の調査能力を遥かに超えておりますが、このコメントをご覧になった方で、ご存知の方がいらっしゃるといいですね。

私も、心に留めておきます。

コメント、ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年03月28日 18:18
横澤 友壽の孫です。おじいさんは長野県上田市眞田に自宅があります。私は上田市内に住んでいます。幼い頃にとったセピア色の写真があります。養蚕教師だったと聞いています。数年前に石碑が危険だと言うことで埋めらてしまいました。なんか悲しい気持ちです。
Posted by 横澤 朝彦  at 2014年08月03日 19:41
>横澤朝彦様

友壽氏のお孫さんですか!
あー、やっとたどり着きました!
記事にしてよかったです。

石碑が埋められてしまったのはとても残念ですが、考えようによっては、いつでも掘出して再建できるということでもあります。
どうか、ご子孫に語り継いでいって頂きたいと、切に希望いたします。

ところで、今年の1月に友壽氏の新情報が得られまして、記事に致しました。
まだご覧になっていないようでしたら、こちらをご覧ください。
http://inkyo.gunmablog.net/e324255.html

いつの日か、友壽氏の石碑が再建されることを祈っております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年08月03日 20:49
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    コメント(6)