みなさん、明けましておめでとうございます!
今日は1月2日で「書きぞめの日」、今年最初のブログ記事にはちょうどよい日かも知れません。
どうぞ、どなたにも幸多き年となりますように。
「佐野の舟橋」は歌碑の建っている辺りにあったといいますが、ここから川の姿は見えません。
長い年月の間に、川も流れを変えたのでしょう。
現在の烏川は、ここよりずーっと西(左)を流れています。
川を目指して歩いてみましょう。
墓地の角を左に曲がり、さらに左に曲がり、歌碑の下の坂道を下ります。
新幹線の高架下を潜ると、左前方にとてつもなく大きなマンションがそびえています。
ある年代以上の方には、「山崎病院のあったところ」と言えば、分かるでしょうか。
まっすぐ進むと、今どき珍しい、木の橋が現れます。
上佐野と寺尾をつなぐ「佐野橋」です。
「高崎百年」に、昔の「佐野橋」の写真が載っていました。↓
欄干もなく、かつての舟橋に毛が生えたような趣きですが、川が増水した時には取り外して下流に流し、後で引き揚げて元に戻せるようになっていたそうです。
平成六年(1994)に、鉄の橋脚に木造の橋桁という現在の構造になりますが、平成十九年(2007)にはまた流されて架け直されています。
なぜか懐かしーい気持ちになる「佐野橋」。
そこに佇むといつまでも景色を眺めていたくなります。
いつまでも、残っていてほしい橋です。
今日は1月2日で「書きぞめの日」、今年最初のブログ記事にはちょうどよい日かも知れません。
どうぞ、どなたにも幸多き年となりますように。
「佐野の舟橋」は歌碑の建っている辺りにあったといいますが、ここから川の姿は見えません。
長い年月の間に、川も流れを変えたのでしょう。
現在の烏川は、ここよりずーっと西(左)を流れています。
川を目指して歩いてみましょう。
墓地の角を左に曲がり、さらに左に曲がり、歌碑の下の坂道を下ります。
新幹線の高架下を潜ると、左前方にとてつもなく大きなマンションがそびえています。
ある年代以上の方には、「山崎病院のあったところ」と言えば、分かるでしょうか。
まっすぐ進むと、今どき珍しい、木の橋が現れます。
上佐野と寺尾をつなぐ「佐野橋」です。
「高崎百年」に、昔の「佐野橋」の写真が載っていました。↓
欄干もなく、かつての舟橋に毛が生えたような趣きですが、川が増水した時には取り外して下流に流し、後で引き揚げて元に戻せるようになっていたそうです。
平成六年(1994)に、鉄の橋脚に木造の橋桁という現在の構造になりますが、平成十九年(2007)にはまた流されて架け直されています。
なぜか懐かしーい気持ちになる「佐野橋」。
そこに佇むといつまでも景色を眺めていたくなります。
軽四以上は通れません | きっと昔もこんな風景 滔々と流れる烏川 横たわる山名丘陵 | 上信電鉄の鉄橋と 観音様と浅間山 |
激流に思いを馳せる 那美と小次郎の物語 | 気付けばいつしか 日は西に | 帰ろかなー 帰るのよそうかなー |
いつまでも、残っていてほしい橋です。
【今日の散歩道】