2010年11月18日

鎌倉街道探訪記(7)

鎌倉街道探訪記(7)下った坂をまた上り、細道の十字路まで戻って、南へ進みます。
鎌倉街道探訪記(7)普通のお宅に見える屋根のてっぺんに、十字架が立っています。

「日本基督教団 高崎南教会」だそうです。
鎌倉街道探訪記(7)お行儀のいいワンちゃんの親子が、玄関前に座ってました。

いいなぁと思ったのは塀の上の看板です。
日本のお役所のは、どうも説教じみてていけません。
鎌倉街道探訪記(7)

鎌倉街道探訪記(7)道は左へカーブしますが、コーナーから、城南球場へ降りる石段があります。

鎌倉道は真っ直ぐ崖上に続いていたのでしょうが。
鎌倉街道探訪記(7)カーブを曲がってすぐ右折すると、「くるみ塚児童公園」の丁字路に出ます。
鎌倉街道探訪記(7)「くるみ塚児童公園」前の東西の道は、現在「城南野球場通り」となっていますが、他にもいろいろな名前がついています。

土屋喜英氏著「高崎漫歩」によると、
「城南野球場へ下る坂は稲妻形をした細い道で、振り子のように左右に曲がりながら下りていった。ここに水車があり、通称『車のがけ』と言っていた。」
とあります。

しかし、城南球場は昭和十一年(1936)の完成ですが、大正十三年(1924)、昭和九年(1934)いずれの地図にも稲妻形の道は描かれていません。
もしかすると、前回の記事で紹介した草むらの石仏群のところに下りていく道か、あるいは同じような野道があったのかも知れません。
鎌倉街道探訪記(7)
鎌倉街道探訪記(7)
坂途中の橋には「南二条線」とあり、平成二年(1990)に建てられた標柱には「山茶花(さざんか)坂」と書かれています。

鎌倉街道探訪記(7)
城南球場のモデルは東京神宮球場だそうですが、隣接の城南プールもまた、神宮プールに次ぐ日本水泳連盟公認プールとして、昭和十三年(1938)に完成しました。

ただ、私が子どもの頃は、あまり衛生的とは言えなかったように思います。

水もたぶん1週間に1回くらいしか替えてなかったのではないでしょうか。
井戸水だったのでしょうか、替えた直後はものすごく冷たいのですが、日が経つにつれ温るくなり、水の透明度も悪くなって、底は藻でつるつる滑るありさま、あろうことか、プールの縁にはボウフラまでいました。
今の人なら気絶しそうな水の中で、嬉々として泳いでいた、そんな時代でした。

鎌倉街道探訪記(7)そんなプールでも、プール開きには必ず神主さんを呼んで、傍らに建つ水天宮様に安全を祈願したそうです。

大正七年(1918)の建立といいますから、城南プールができるずっと前から祀られていたのですね。

塩素滅菌で衛生的なプールとなった現在では、神主さんを呼んで祈願することもなくなったようで、水天宮様もちょっぴり寂しそうに見えました。



【今日の散歩道】



鎌倉街道探訪記(7)



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Posted by 迷道院高崎 at 23:31
Comments(8)鎌倉街道
この記事へのコメント
鎌倉道の特徴の一つに、川沿いの段丘上を通るというのがあるそうですが、ここはまさに当てはまりますね。
Posted by ふれあい街歩き  at 2010年11月20日 18:58
ボウフラのプールで思い出したんですが、寄生虫博士として有名な藤田 紘一郎さんが東南アジアの田舎でウンチが流れてくる川で(びろうな話ですいません)元気で泳ぐ子供達に花粉症やアレルギーが皆無であると自身の著書で書いておられました。
つまり、超清潔社会になつてしまった日本に生きる子供達は病原菌やウイルスに対する免疫や抵抗力が弱まってしまったと言う事です。
昔は道路に落ちたあめ玉でもふーふーして平気で食べたもんなー。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年11月20日 19:40
似たような話を思い出しました。花粉症を発症させないために、幼児を牛小屋に連れていくとよい、とか。(そんな研究がされているとか…)

犬のフンの看板を見て思い出したのは、信州の元善光寺で「自分のゴミ、空き缶、いっしょに来た家族、仲間、お詣りのご利益、ひとつも置いて行かないよう全て持ち帰りましょう。」という看板でした。(つまらない話でごめんなさい)
Posted by 風子  at 2010年11月20日 21:40
>ふれあい街歩きさん

そうですね。

いろいろな場所から烏川を渡ったようですが、佐野の舟橋に至るのは、この道が有力だと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月20日 22:04
>柏木沢の農家おじさん様

そうでしたよねー。

野菜だって下肥で育ててたんですから、回虫がお腹に住んでるのは当然でした。
よく、「虫下し」なんてのを飲まされましたよね。
月の終わりは虫が上を向いてるから、その時飲むとよく効くとか言われて(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月20日 22:10
>風子さん

いえいえ、面白い話です。

ちょっとしたユーモアで、マナーを守る気になるもんですよね。

どこだったかなぁ、
「とってよいのは写真だけ」
ってのがありました。
植物を採っちゃう人がいるんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月20日 22:24
約10年前のブログへのコメント失礼します。
10歳頃まで竜見町に住んでおり、この界隈は良く遊びに行きました。
稲妻型の道ですが、自分らは「蛇坂」と呼んでいた細い坂道かもしれません。
教会の少し北側から球場裏に降りる道が蛇坂です。
Googleマップでも確認できます。
昭和九年の地図ではなぜか省略されて直線に球場まで降りていますが、急な勾配からすると不自然ですので、おそらく当時からあった道と思います。
Posted by ヒロシ  at 2020年07月20日 20:46
>ヒロシさん

コメント、ありがとうございます。
「蛇坂」と言うんですか。
たしかにあの細い坂道は、蛇のようにクネクネしてましたね。

「くるみ塚児童公園」から球場に降りる坂も道路改修で、「さざんか坂」と「南二条線」の表記が無くなってしまいましたね。
ちょっと残念な思いがします。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年07月21日 17:52
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