2010年10月05日

号外!歴民企画展「幕末維新の若者たち」

歴史民俗資料館矢島館長が、わざわざ拙宅までチラシを届けて下さり、恐縮してしまいました。

10月13日(水)から始まる、高崎の幕末維新シリーズ企画展のチラシです。

記念事業として、講演会と史跡めぐりが予定されていて、9月22日から申し込み受付が始まっています。


いつも大盛況なので、ご希望の方は、なるべく早く申し込まれた方がよいと思います。

チラシの裏面には、次のような案内文が書かれています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

時はさかのぼること幕末維新期、全国の藩が優秀な人材を求めて「藩校」を設置する中、高崎藩も「遊芸館」や「文武館」を開設します。

一方、慶応四年(明治元年)の小栗上野介忠順の斬首、三国戦争や北越戦争への出兵、翌明治二年の高崎五万石騒動の勃発と、高崎藩には幕末維新の動乱の火種がくすぶり続けていました。

そういった状況の中で、知藩事である大河内輝聲(おおこうち・てるな)は、明治三年(1870)に「英学校」を開校し、若き日の内村鑑三や尾崎行雄といった人々が学びます。
後に彼らは日本や世界を舞台に活躍していきます。
今年は「英学校」開校から百四十年目にあたります。


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明治三年といえば、高崎藩の台所は火の車だったはずです。
その中で、わざわざ作楽戸痴鶯(さらくど・ちおう)という静岡藩士を雇ってまで英語を学ばせたということは、当時、いかに西欧の文化・文明の吸収が急務であったかということでしょう。

高崎藩英学校は、最初、鞘町石上寺(せきじょうじ)に設置されたそうです。
石上寺とは、お堀端の時の鐘があったお寺です。

その後、そこには中央小学校の前身である鞘町小学校ができました。

高崎は、なかなかの教育都市だったのです。
歴史民俗資料館で、そんな高崎に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


【高崎市歴史民俗資料館】





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この記事へのコメント
いつもお知らせ、有難うございます。

高崎市歴史民俗資料館は精力的に企画を打ってますね~。
横浜生まれの尾崎行雄が、高崎の英学校で学んだとは知りませんでした。wikiで確認。

明治初年、ヒトは各地を激しく移動しているんですね。また高崎市歴史民俗資料館に行くつもりでおります。まずはお礼まで。

   夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2010年10月05日 09:09
>夢寅さん

高崎藩英学校は、開校後わずか2年で廃校になってしまいます。
尾崎行雄は三重県伊勢の英学校へ移って、勉強を続けたそうです。

昔も今も、何かを成し遂げる人は、距離なんて関係ないんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年10月05日 09:34
高崎藩に英学校があったとは、初めて知りました。また、当時は県内各藩がこぞって藩校を設けたことも知り、勉強になりました。
時の鐘の記事など、以前の記事も興味深く読ませていただきました。
歴史民俗資料館の企画展、幕末ブームの昨今ですので盛況でしょうね^^。
Posted by 風子  at 2010年10月05日 19:25
今や幕末・・・・・

されど人踊らず。

今朝の上毛に、「富岡氏正式に出馬表明」とか。

「多選は組織を硬直化」とかとも・・・・・

まあ、常軌を逸した「多選」ですが、富岡氏は2期8年を。

この幕末に、若き高崎の志士は !!??
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年10月05日 19:34
>風子さん

英学校を設立した藩主の大河内輝聲は、
元々学問好きな人だったようで、輝聲自身も
そこで英語の勉強をしたそうです。

また、ご先祖の大河内輝貞という人も、
徳川綱吉に論語を講義したほどの学問好き
だったということですから、その血が流れて
いたんでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年10月05日 20:18
>昭和24歳さん

上毛、見ましたよ。
「文化と産業が相乗的な効果を発揮するような
町づくりを進めたい。」という決意だと報じられて
いましたね。

具体的な話を聞いてみたいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年10月05日 20:23
「年齢」は関係ないといいますけど・・・・・

僕ら世代、というかそれ以上はもう「歴史の中」に。
「謙譲」でしょうか、コレから歴史を創ろうとする若い力を信じなくてはならない。
そしてあらゆる場面場面でその若い力は「成長」しているはず。なぜこの街はそういう政治的後継者を育てないのでしょうか、育ったない?そんなことはないはずです。

>「文化と産業が相乗的な効果を発揮するような町づくりを進めたい。」

本来なら、官僚から大学長までになられた富岡先生ならそういう若者を育てていなければならない。現市長しかりです。

現下、「文化と産業」などと悠長なことを言っていられる時代でしょうか。少々乱暴でも、スクラップ&ビルドです。思い切った政策で市民に問いかけ、時には失敗もいいでしょう。
あの廃墟の中に「子ども博」(昭和27年)を「高崎短期大学(経大)」を創設したように。
その躍動は若き小島弘一市長。昭和22年初めて市民が直接選挙で選べる市長選で当選若干、36歳で、2期8年。実はその小島市長は住まいは弓町だったでしょうか、近所だったので市長退任後、自社「小島機械」(高砂町)に通う颯爽としたその姿、そして目が合おうと「ニコッ」された優しそうなお顔、今でも脳裏にい焼き付いています。

未来の創造、新しい時代を信じる。信じたい。

ホントは「富岡さん」のオメガねに敵うような若者を推挙すべき時代ではないのかと。

いつも長くてすみません。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年10月06日 13:37
>昭和24歳さん

高度経済成長時代をのほほんと生きてきた私などは、
今の若者をとても頼もしく感じています。

その若者に、市のリーダーとなることに魅力を感じさ
せないといけないんでしょうね。
それには、どうしたらいいんでしょう?

高崎という町の歴史や町づくりについて、語り合う
機会が、どうしても必要な気がします。

今、歴史講演とか史跡めぐりとかの参加者は、ほ
とんどが中高年です。
何とか、若者が参加したくなるような、そんな企画
ができるといいな、と思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年10月06日 20:28
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