2010年09月29日

連雀町今昔 講演抄(1/3)

ちょっと前になるんですが、9月12日に高崎市総合福祉センターで、高崎郷土史会の研究発表会がありました。
いつも当ブログにコメントを頂いている、雀の子さんからの情報で、聴講に行ってまいりました。

四人の方の発表がありましたが、特に、会長の高経大名誉教授・高階勇輔先生のテーマが興味深かったので、録音させて頂きました。
テーマは「連雀町今昔 ~その史的変遷~」
連雀町生まれの先生が、記憶にある連雀町の変遷を紹介しながら、実は、高崎市民へ向けた町づくりへのメッセージというものでした。

約1時間の講演でしたが、うる抜いて30分ほどのスライドショーに編集してみました。
それでも長いので、3回に分けてご紹介したいと思います。

では、高階先生の肩の凝らない講演をお楽しみください。







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この記事へのコメント
貴重な講演の公開を
ありがとうございます。

高階先生は
レンジャクと背負子の
関連性を言われていましたが、
レンジャクは連雀、字のごとく
連なって移動します。
背負子(れんじゃく)を背負った人々が
連なって移動していたところから
きたように思われます。
レンジャクの姿と言うより
レンジャクの生態(移動の仕方)から
そう呼ばれるようになったのでしょう。

群馬では、赤城山の箕輪や
東大室の池に冬季、
来ることがありますが、
なかなか観察できなくなって
きている鳥の一種です。

ヒレンジャクとキレンジャクの
2種いまして、
キレンジャクの方が見る機会が
少ないです。
Posted by いちじん  at 2010年09月29日 11:13
>いちじんさん

バードウォッチャーのいちじんさんらしい深い洞察コメント、ありがとうございます。

今回の記事を書くにあたって、道具としての「連雀」に関する本を何冊か見たのですが、縄を編んだだけの背負縄のことを、「連索」と書いて「れんじゃく」と読んでいます。
http://img01.gunmablog.net/usr/inkyo/syoi_nawa.jpg?k=1285759180

また他の本には、編んだ縄の模様が鳥のレンジャクの羽の模様に似ているから、という説も書かれています。

その他には、荷を降ろした背負縄を、肩からぶら下げている姿が、鳥のレンジャクに似ているからという説もありました。

ということで諸説紛々ですが、それだけに「あ、ぼっとして!」と、自分なりの説を思いつくのは、楽しいことですね。

喜寿を過ぎた高階先生が、いまだにその気持ちを失っていないことに、感銘を受けました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月29日 21:08
連雀も興味深いのですが、「伊勢殿」という言葉にはビックリ!
伊勢殿とは伊勢神宮への信仰に関係する宗教施設だということですが、板鼻では、ある一帯が伊勢三郎の屋敷跡だったということで「伊勢殿」という石碑があるようですが、どっちの意味なのかわからなくなりました(汗)。よーく調べなくちゃ・・・。http://gpnotebook.gunmablog.net/e110187.html

しかし、高階先生の声、若々しいきれいな声ですねー。内容と関係ないことでごめんなさい。
Posted by 風子  at 2010年09月29日 23:39
>風子さん

そうでした、風子さんの「伊勢殿」の記事、失念しておりました。

伊勢殿には伊勢の御師というのがいたようなので、屋敷跡というのもその関連なんでしょうかね?

高崎と板鼻のちょうど中間辺り、中豊岡に大神宮というのがありますが、そこがかつては中豊岡村の伊勢殿だったようです。

それらのつながりを調べて行くと、また何か分かりそうで、面白いかも知れませんね(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月30日 09:24
迷道院様

12日は、行くつもりでおりましたが、急に体調を崩してしまい、講演を聴きにいけませんでした。
レジメだけは頂戴しましたが、残念に思っておりましたところ、この様にビデオを見られて、行った気持ちになりました。

伊勢殿といのは、社殿もあったらしいですが、
伊勢山田、外宮の御師であった、三日市太夫次郎の出張所でした。主に、御師の番頭とか、手代といった連中が廻ってきて、お札とか、暦を配ったそうです。
高階先生のお話にありますが、終戦直前の空襲で焼けてしまい、その後、藤五デパートが出来た時に、屋上に伊勢殿の社というより、祠が再建されました。藤五の閉店、その後の取り壊しを経て、井上工業が建物を預っている、という話もありましたが、結局所在不明になってしまいました、
Posted by 雀の子  at 2010年10月01日 22:16
>雀の子さん

体調を崩されていたんですか。
もう大丈夫ですか?

おかげさまで、研究会では面白い話を沢山聞けて、大変勉強になりました。
ありがとうございました。

連雀町の伊勢殿は幻となってしまいましたが、記憶している人の証言でCGにでもできるといいですね。
昔、縁日であった「覗きカラクリ」のように、標柱の節穴を覗くと、画像が出てくるなんて仕掛けができたら面白いと思いますが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年10月01日 23:09
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