2010年09月22日

本町今昔 蔵探し(4)

本町二丁目の角、カラオケ屋さんとUSEN高崎支店の間の奥に、蔵の姿が見えました。

この一帯は、かつて久保川呉服店があった所です。     ↓



久保川呉服店は、明治三十年(1897)発行の「髙嵜繁昌記」では、各国織物商・江州屋(ごうしゅうや)江州(上州?)支店とあるので、近江(滋賀県)の出だったようです。

昭和二十三年(1948)には、前年に始まった
ゑびす講市の流れで、当時、久保川百貨店と呼ばれていた当店を会場に、西毛物産展が開催され、写真ではその看板が掛けられています。

の近くへ行ってみました。

漆喰壁を維持するのは、なかなか大変なのでしょう、トタン板で覆われていました。
それでも残しておいて頂いたのは、有り難いことだと思います。

ところで、これはどなたの家の土蔵でしょう?

ご近所の方に聞いてみると、「前の家のですよ。」と道の反対側を指差します。

前の家とは、嘉多町通りの柳川町分になりますが、昔からすき焼きで有名な、信田(のぶた)牛肉店でした。

高崎で一番美味しいと評判だったすき焼き店ですが、現在、営業は冬季だけ、それも予約のみということです。
それでも評判を聞きつけて、今も各界の著名人が訪れているようです。

信田牛肉店から、湯屋横丁を通って本町へ戻る途中、駐車場に1本の煉瓦煙突が立っているのが目に入ります。

ここは、もと銭湯・成田湯(成田本町支店湯)の跡です。
2009年01月04日の記事に、ありし日の
成田湯の姿が残っていました。

建物を取り壊したのはつい最近、今年の2月だそうです。

つくづく、写真を残しておいてよかったなぁと思いますが、
昔の風景は、見かけた時が写す時なんですね。

廃業はしても煙突だけは残そうとした成田湯さんの気持ちが、痛く分かるような気がします。
この湯屋横丁高崎湯屋業発祥の地であることを、いつまでも伝えるシンボルとなることでしょう。

さて、次回はいよいよ、本町蔵探し最終回となります。

(参考図書:「本町今昔物語」「新編高崎市史」「髙嵜繁昌記」「中山道高崎宿史」)









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この記事へのコメント
たしかにトタン板で覆われた蔵やコンクリートで固めた蔵をよく見ますが、致し方ないのでしょうね。
こうして見せて頂くと、高崎はやはり商業地としての蔵が多く残されていますが、高崎以西の元碓氷地方と呼ばれていたあたりですと、養蚕が盛んだったころの蔵を多く見ることができます。
こちらも傷みの激しいものがかなりあります。すべてを記録することは不可能ですが、見て歩きたいなァ・・・と思っていますが、実現はなかなか難しいですねー。偶然の出会いがあることを期待するばかりです。
Posted by 風子風子  at 2010年09月23日 10:25
>風子さん

その気になって見ると、けっこう蔵って
残ってますよね。

高崎も、空襲と道路拡幅で多くの蔵を失った
ようですが、それでもまだ沢山あります。
町づくりに提供して頂けると嬉しいんです
が、勝手な言い分ですよね。
分かってはいるんですが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月23日 20:01
信田牛肉店には、
一度だけ行ったことがあります。 
中庭の大きな屋敷稲荷が印象的でした。 
もちろん、すき焼きも美味でした。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年09月24日 00:11
>捨蚕さん

お、やっぱり通な人は行ってるんですね。

子どもの頃は、年中ここの前を通ってましたけど、そんなすごい店とは知りませんでした。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月24日 07:32
又、お邪魔します。

久保川呉服店は、12年ほど前までは、弊店の隣にありました。ご主人、久保川伸さんがお亡くなりになると、無くなってしまいました。
本町から、なか通り、鞘町、そして連雀町と、其の時々の繁華な場所に移動して、いかにも高崎の代表的な商店らしい転進ぶりでしたが、着物離れという大きな時代の流れには勝てなかったようです。
久保川さんは、滋賀県愛知川のご出身で、典型的な近江商人でした。なんでもお祖父さんが、近江の名産の蚊帳(麻)を担いで、行商から出発なさったそうです。
店の従業員の方も、1人を除いて、皆、愛知川の出身でした。
高崎も、出身が近江商人の店が結構あって、連雀町では、小泉布団店、(現在はヤマハ音楽教室、日興コーヂアル証券の隣)もそうでした。

なお、久保川さんの奥さんは、たしか華水というお名前の、薩摩琵琶の先生です。高崎でも、何回も演奏をなさっていますので、お聞きになった人も多いと思います。
Posted by 雀の子  at 2010年09月24日 20:51
>雀の子さん

久保川呉服店さんの情報、ありがとうござ
います!
随分、あちこちに移転したんですね。
奥さんが薩摩琵琶の先生だったという話も、
初めて聞きました。

先日、教えて頂いた郷土史会の研究発表会に
行ってきました。
高階先生が言ってましたよ。
今、連雀町の人達が一生懸命、町の歴史を
掘り起こしてるって。

一冊の本になることを、楽しみにしております!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月24日 23:20
先の書き込みの訂正がございます。

久保川さんのお名前は「伸」ではなく、「泰」でした。
そそっかしいモノで、よく確かめもせず、大変申し訳ございませんでした。

また 、あやしい情報になってしまいますが、10年ほど前になりますか、市の文化財課か、商業課か忘れてしまいましたが、高崎の町に、蔵が幾つ残っているか調査したことがあったように記憶しているのですが、そして結果は2,30だったような気もします。
どうもあやふやな話で重ねて申し訳ございません。
Posted by 雀の子  at 2010年09月25日 19:59
>雀の子さん

あー、ご丁寧にありがとうございます。

蔵の数を調べたことがあるんですね。
といいうことは、何か目的があったんでしょうか。

これ以上、数を減らしたくないですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月25日 20:20
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