2010年09月18日

本町今昔 蔵探し(3)

昭和十三年(1938)創業の清芳亭本町支店の反対側には、昭和三十三年(1958)にできた高崎最初のスーパーマーケット・フードセンターがありました。

フードセンターの向かって右の木造建築が、明治十八年(1885)創業の乾物商・旧荒木商店です。

歩道上からでは、屋根しか見ることができません。

西に回ると、荒木家の蔵を見ることができます。


大通りに戻って西へ80mほど行き、
         道の反対側を見ると、面白いものが見えます。↓

パラペット看板とでも呼ぶのでしょうか、実に風情のある看板がシャッターの上に覗いています。

この姿も、道路の反対側からでないと見ることができません。

ここは、昭和三年(1928)築造の菊水画廊です。


前身は、明治三十九年(1906)創業の化粧品店・菊水商店でした。

勝手なことを言いますが、手前のシャッター壁を撤去して、全体の姿を拝みたいものです。

いや、実は不思議なことがありまして。
ついこの間、シャッター壁のない頃の菊水画廊の写真を見たんです。
いや、見たはずなんですが、今、何処を、何を探しても見つかりません。
あれは夢だったんかなぁ、と思いながらこの記事を書いているような訳です。

菊水画廊の反対側に、木造三階建ての趣きある建物が立っています。

明治三十二年(1899)創業の旅籠・旧千歳屋です。

大正十二年(1923)の火災で類焼しますが、同年中に再建されています。

昭和三十七年(1962)に廃業しましたが、よく残して頂いたと思います。

本町二丁目の角を柳通りの方に曲がると、窮屈そうに建っている木暮家の土蔵が目に入ります。

残してくれていることに、感謝しなければいけないでしょう。

いつの日か、再び表舞台に立てる日が来ることを、祈っています。

これらの土蔵や歴史的建造物は、いずれも非公開となっています。
これも、第三者の勝手な言い分ではありますが、何とか、町おこしの一環として活用して頂けないものかと思います。
資料館、あるいは喫茶店、あるいは町歩きをしている方のお接待場所として、提供して頂けたら本当に嬉しいのですが。

さて、次回は本町一丁目の蔵探しです。








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この記事へのコメント
ブラボーです。  

ですが、話せるのは、フードセンターのことだけです。 
昭和33年でしたか、 

久保川呉服店は、山口金物店の場所ですか。 
祖母が久保川の銘の入った鯨尺のモノサシを 
持っていました。 

実は、祖父の後妻さんですが、秋山のコブの 
おじさんの実姉です。  

こんなに、あるとは、ブラボーです。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年09月18日 21:33
ご存知かもしれませんが、本町ではないんですけど、今はなき田町の書店「文心堂」にもつい最近まで蔵がありました。
そこはうちの家業が大工だった頃からのお得意様で、大工を辞めた父をとても慕ってくれて、廃業してからも改修をよくやらさせていただきました。
数年前に「文心堂」の蔵を人が住めるように改修したのですが、時代の流れには逆らえなかったのでしょうか、「文心堂」と共に取り壊されました。
その時の父の顔はとても残念そうで・・・。
記事を拝見して、つい思い出してしまいました。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2010年09月18日 21:51
>捨蚕さん

フードセンターは近かったので、よく行ってました。
夏は、夕涼みのつもりで行ってましたね。

久保川呉服店とか、鯨尺とかいうのを聞くのは何十年ぶりでしょう。
久保川呉服店は、もう一本西の、柳通りの角だったようですね。
今、カラオケ屋になってる辺りですかね。

思ったより、昔の建物残ってるでしょう?
活かしたいですよねー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月18日 21:59
>弥乃助さん

あー、そうでしたかー!
文心堂さんは行ったこともありましたが、後ろに蔵があったとは知りませんでした。

お父さんにとっては、手塩にかけたお得意さんの蔵ですから、それは残念だったでしょうね。
紫文さんの言うように、今何とかしなければ、どんどん消えてしまいそうです。

まずは、ことある毎に「いい建物だねぇ、残していきたいねぇ。」と、みんなで声を上げ続けることが必要だと思っています。

よろしくお願い致します!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月18日 22:13
あ、そうそう。
うちにある茶箪笥は、その文心堂が解体する直前に父がもらってきたものなんです。
ガラス戸の1枚が、波打っているように見えるので、結構古いものかなと勝手に思い込んでいますが・・・。
それにしても、昔の建物を解体したら駐車場っていうのは悲しいものです。
市でも景観賞なるものがあるので、もっと活用したらいいのにと思います。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2010年09月19日 06:49
>弥乃助さん

あ、いつだったかブログに載っていた茶箪笥ですか?
波打ってるようなガラスは、それだけで感動してしまう
のは何でなんでしょうね?
木目と同じ曖昧さがいいんでしょうか。

今、市の都市計画課でも、「景観案内人」という、
町の歴史や町並みについて案内できる人を養成して
いるようです。


少しづつですが、私達の思いと方向が合ってきている
ような気がします。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月19日 07:38
菊水画廊さんの建物、レトロ感があっていいですねー。
随分、蔵が残っていることに驚きます。内部を改造して住んでいるお家を見たことがありますが、夏は涼しくていいらしいですね。改装費用がかかって大変なのでしょうか。なんとかして、末永く残して欲しいです。
先だって、高崎山車まつりのとき、駅からあら町の方に歩いていて、趣のある旅館を見ましたが、人が多くて写真も撮れず残念でした。高崎には見所が沢山ありますね。毎度申しておりますが、ゆっくり散策したい街です。
Posted by 風子風子  at 2010年09月19日 09:13
久保川は・・・・・

一時、コンビニ「ローソン」とかになっちゃってましたけど、
飯島電気、つまり成田さん参道の入り口でした。
老舗です。現在はたしか白銀屋のとなり、つまり本町が寂れて、富士銀行、サカイレコード、藤伍があそこはナニ町でしょうか、ぼっとしたら鞘町、白銀町???
そこで、営業してます。もうしばらく前ですけど藤巻君の小母さんがパートで行ってました30年前ですか(笑)。

で、「蔵」のお話ですけど、街中にあった繊維問屋が大挙して「問屋町」に移築されてから・・・・・・
北関東初の問屋街だったわけですけど、高崎の街は死滅しましたね。
まあ、当時は商家だらけで、ソコ、高崎の街も「蔵の街」でした。

小学校5年の時にできた「フードセンター」。
よく母にぶっかきのチョコレートを強請りました。旅行の時。たしか初めてのマーブルチョコレートもフードセンター・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年09月19日 19:43
>風子さん

菊水画廊、いいでしょー?
いいんですよー!
まだ沢山残ってたんですよ、後ろ側に!

新(あら)町の旅館、豊田屋ですね。
創業は明治12年だそうですが、現在の建物は昭和7年築とのことです。
駅前旅館ということもあって、有名人も随分泊まったようですね。

涼しくなってきたので、ゆっくり散策するにはいいです。
どうぞ、お出かけください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月19日 20:53
>昭和24歳さん

現在の久保川呉服店、鞘町分ですかね。
藤巻君の小母さんがパートに行ってたんですか?
何で、そんなことまで知ってるんでしょ?

高崎は川越なんて問題にならないくらい「蔵の町」だったと、高階勇輔先生も言ってました。

昭和37年の中山道拡幅工事と、問屋町誕生が効いちゃいましたね。
その問屋町も、また再開発だとか。

旅行のお菓子にぶっかきチョコ?
私は、魚肉ソーセージでしたけどねー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月19日 21:16
>私は、魚肉ソーセージでしたけどねー。

昭和30年代って肉屋なんてありませんでしたから。
それでも弓町に「寺田支店」ができたのが昭和も暮れも宵だったでしょうか。
コロッケが5円。寺田のオバさんがそのコロッケをヘギにのせてソースをかけてくれて、

「熱いからね」

そういって手渡してくれた・・・・・

そのころ、親父が給料日だと「とんかつ」とか。一枚たしか50円はしたんじゃあなかっただろうか。たしか少年マガジンの値段と一緒だったような気がする。
50円を握りしめて寺田へお使い。だけど途中、宮崎の旗屋に売ってる少年マガジンを思い出して春秋したものだった。
ちなみに、とんかつには「キャベツ」が添え物として必ず付いていた。

魚肉ソーセージですか。しばらくするとハイカラなお宅のお坊ちゃお嬢ちゃんちゃんにはウインナーソーセージとか。
中学生の弁当だっただろうか、アノ切り込みを入れて炒めたのか見るからに美味そうだったなあぁ。

ぶっかきチョコは森永とか明治とかのチューブチョコより安かったです。
チューブチョコも好きだったけど・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年09月20日 15:25
>昭和24歳さん

給料日のなかった私の家は、客が来るのが楽しみでした。
大抵は、客の方が金を出して出前を取ってくれましたから。
電話もなかったので、そんな時は私が嬉々として注文に走ります。

安いというぶっかきチョコよりもっと安いのが、コリス(ハリスじゃありません)の白ばっこくて固いチョコもどきでした。

今となっては懐かしい、貧乏暮しでした(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月20日 19:54
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