2010年09月16日

本町今昔 蔵探し(2)

蔵探しと言いながら近代的なビルの写真を載せていますが、向かって一番右の大塚酒店は、江戸時代には近江屋という屋号で味噌・醤油を製造していた老舗です。

明治に入ってから大塚酒店と名前を変え、高崎歩兵第十五連隊へ納入していました。

裏へ回ると、
当時のがちゃんと残っていました。→

←その裏道は、高崎城遠構えの水路跡です。

この道の先に「猿田彦大神」が祀られています。

トップの写真に戻りましょう。
中央にあるのは、昭和三年(1928)創業の肉屋・照和軒
美味しいコロッケで有名でしたが、現在は肉料理店「丹涼」となっています。

向かって左には、「飯島ビル」が建っていますが、1階は昭和九年(1934)創業の飯島電気です。
つい最近まで成田山入口(本町二丁目交差点)角にありましたが、昭和六十二年(1987)にここへ移転してきました。

それ以前は、明治二十七年(1894)創業の時計店・青木保太郎商店がここにありました。
←明治三十年(1897)発行の「髙嵜繁昌記」に、立派な広告を出しています。

しかし、それにそっくりな広告を出している店がありました。→

田町二丁目の
結城屋平三郎商店です。

描いた人が、同じ村上象童という人なので、仕方ないといえば仕方ないのですが、今だったらクレームものじゃないかと思うくらいそっくりですね。


当時、時計は文明開化の象徴のような商品だったようで、高崎には多くの時計店があったようです。

「髙嵜繁昌記」にひときわ大きな広告を出している時計店が、
本町大瀧金次郎商店です。


店構えも素晴らしいですが、屋根の上の烏天狗が時計を抱えている看板には、当時の人も圧倒されたのではないでしょうか。
うたい文句の「三十ヶ年保険附」というのも、すごいです。

場所は、前回ご紹介した「あすなろ」のあった所です。
もしも今残っていたら、高崎名物になったことは間違いありません。
残念なことをしました。

ところで、国産時計のパイオニアといえば精工舎(セイコー)でしょうが、実はその精工舎高崎と深い関係があるのです。

まず、精工舎の創業者・服部金太郎の妻・まんは、高崎山本兼重郎の娘とあります。

そして、販売・修理業を営んでいた金太郎が、時計製造を始めることができたのは、機械技術家の吉川鶴彦という人がいたからだといいます。
その吉川鶴彦は若い頃、前述の結城屋平三郎商店に、時計職人として勤めていたのです。

さらに、前述の青木保太郎は、まんの生家である、連雀町の時計商に奉公をしたのち独立したと、「本町今昔物語」に書かれています。

もしも今、高崎にそれらの時計商店が残っていたら、
「国産時計誕生の地・高崎!」と言ってもおかしくはありません。
残念なことを致しました。

今日は、ここまでに致しましょう。

(参考図書:「本町今昔物語」「髙嵜繁盛記」「中山道高崎宿史」)








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この記事へのコメント
時計屋の青木さんは、うちの父桑海とかいう俳句の会に入っていて、よくみんなで集まっていました。
昭和軒のコロッケ、とハムかつ、そろばん塾の帰りによく食べました、とくにポテトフライがが美味しかった。
Posted by tack  at 2010年09月16日 07:13
>tackさん

ほー、そうでしたか。
昔から、高崎の商人は文芸に親しんでいたんですね。

照和軒のコロッケは私の父も大好物で、
よく買いに行かされました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月16日 07:18
今日、チケットを買いに本町二丁目のお茶屋さんにいってきました。

社長がいて、しばらく話し込みました。 

本町今昔散歩道のパンフをいただきました。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年09月16日 20:09
蔵探しから、時計のお話に発展して、ついでに、SEIKOのHPも覗いてみましたが、
高崎市とご縁があったとは・・・。
立派な時計店があったのですねー。細部にまで目が届いておられるのも、さすが!です。
多くの時計店の姿が見られなくなってしまったことは残念ですが、いろいろな発見があるのは楽しいですね^^。
Posted by 風子風子  at 2010年09月16日 20:55
>捨蚕さん

そうでしたか、なかなか気さくな社長さんでしょ。
でも、大物なんですよ。

あのパンフも貴重品ですよ。
県立図書館にしか置いてありません。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月16日 21:05
>風子さん

先輩方が残してくれたもののおかげで、
ほんとに勉強になります。

受け売りでもいいから、伝えなくっちゃ
という気持ちになります。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月16日 21:09
紫文的には残っている蔵(ばかりでなく古い建物)を一つの場所に集めたいですね。
今のままでは、近いうちに全滅して、歴史ある中仙道高崎宿の名残が無くなってしまいます。
ただ保存にはお金がかかるし、保存だけではやはり壊れるのを待つばかりなので、そこを「中仙道高崎宿」と銘を打って商店街にしたい、というのが紫文の夢です。
まずは保存する費用とかが浮けばいいので(ま、それだけですまないでしょうが)、店は意欲のある若い人達に安く貸して起業させて、商都高崎の次の世代を育てるのはどうでしょう。
じっさい蔵などを利用した、喫茶店、お菓子屋、ブティック、地方ではよく見かけますし、やっているのはたいてい若い人達です。
一カ所、近くに多くの蔵や建物が集まれば、人も集まりますし、大きな観光資源となるとおもいます。
新しい音楽センターよりこちらのほうが、時間が迫っている、なんとかしないといけないと思います。
ちなみに今は日本全国、その街の文化をになった古い建物を保存して、するだけでなく利用しています。
 鶴岡では昭和初期建築の大きな木造工場をそのまま生かした映画館「まちなかキネマ」(画面数4、レストラン付)ができたり、どんどん建物を保存しています。映画「おくりびと」にでていたお風呂屋がつぶれましたが、すでに保存移築しています。
 
いつも長くてすみません。
Posted by 紫文  at 2010年09月16日 22:00
今日(9月16日付)の上毛新聞1面に、高崎の中心街に農産物直売所を開店する、との記事が出ていました。
本町ではなく田町なのですが、お店の建物は蔵を改装するそうです。蔵の保存、再利用へ繋がり嬉しいです。
Posted by ふれあい街歩き  at 2010年09月16日 23:50
柱時計の事を思い出しました。昔、我が家のあった柱時計は確か一日一回時計板の所にネジを巻く穴が二つあってカギの様なネジ回しでキリキリ巻いたんですよねえ。そうすると時計は生命を与えられたように振り子をカチカチいわせて動くんです。確かドア型のフタのガラス板に「SEIKOUSYA」と斜めにロゴが入っていたなあ。デジタル全盛の世の中、あののんびりとした取り扱いやカチカチと時を刻む音が遥か記憶の彼方から蘇りました。時間はゆっくり流れ、人々は優しかったなあ。ああ昭和30年代をもう一度。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年09月17日 05:38
>紫文師匠

そうですね。
本町も、つい最近、消えてしまった蔵もあって、ハラハラしてます。

ただ、蔵を移設するとなると曳き屋ということになるんでしょうが、けっこうな費用がかかるんでしょうね。
本町の場合、蔵の前を覆っているものを取り外すだけでイケると思ってるんですけどね。

本町一丁目に、もと紙問屋・白木屋の蔵を利用した「もぎたて完熟屋」さんというのがあります。
産直野菜を使ったお惣菜屋さんですが、2階ではランチや喫茶もやってます。

いいモデルになるんじゃないでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月17日 07:52
>ふれあい街歩きさん

その農産物直売所が、例の「すもの食堂」です。
もう、プレオープンしてるようなので、お近くにお出での節は、ぜひ寄ってやってください。

若者達、なかなか頑張ってます!
嬉しいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月17日 07:56
>柏木沢の農家おじさん様

「ボンボン時計」、いいですよねー。

電池式ではありますが、我が家には大・小二つの振り子時計があります。
そのひとつが、「ボーン、ボーン」って鳴ってくれて、昔を懐かしんでます(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月17日 08:01
倉敷ですか・・・・・

行商で何度か行きましたけど、「美観地区」。

市民的運動もそうですけど要は行政でしょうね。
たしかにカネのかかる話ですけど、まあ、アノ花火に邪魔な図書館等が38億円ですか・・・・
永遠に遺そうとするものにおカネをかける。
まあ、経年変化で解体を前提におカネをかける。
つまり市民意識の前に「市民の代表」、「市政」の意識じゃあないでしょうか。

その意味ではあら町の銭湯、成田町の銭湯、和田町の銭湯、竜見町の銭湯、江木橋、飯塚etc.....

銭湯寄席、銭湯談義、放っておけば「市民遺産」はどんどん片付けられちゃいます。
ノスタルジーじゃあないんですね・・・・・
「街が消える」って淋しいです。家族で帰省した長女、しばらくぶりに東小辺りを散策して、
「淋しかった」そうです。

まあ、なにが淋しかったって、建物はおろか、あのおじちゃんもおばちゃんもいなくなってた。
街が消えちゃってた・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年09月17日 12:17
>昭和24歳さん

倉敷の美観地区は、確かに素晴らしいですよね。
あんな水路が、高崎の町なかにあったら良かったんですけど。
遠構えの水路でも、復活させると面白いと思うんですがね。

市民の意識が高まれば、行政も高まって来ると信じたいですね。
もともと、行政を引っ張っていく町だったんですから。

ただ、引っ張っていった商人が、みんな問屋町へ越しちゃったのが、何とも・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月17日 19:07
>昭和24歳さま

>ノスタルジーじゃあないんです
>ね・・・・・
>「街が消える」って淋しいです。家族で帰>省した長女、しばらくぶりに東小辺りを散>策して、
>「淋しかった」そうです。

そう!それです、寂しすぎるんです。だから、ここに余計なことを書いてしまうんです。
実は紫文はずっと来たくても高崎に来なかったんです。
芸人なんて半端な仕事してますから。かっこ悪くって、ちっとはましになってから帰ろう、そう思って20年です、帰ったのは。
そこで見た高崎の街、銀座通りを見たとき涙がでました。
「ここは高崎じゃない!」
悲しすぎます、街が廃墟のようなのですから。
もとより街好きでしたが、それからです。仕事で地方の都市に行くときは、時間があれば1人で街歩き。何か高崎に取り入れられないか見てまわっています(あ、市中見廻りか…)

>迷道院高崎さま

>蔵を移設するとなると曳き屋ということに>なるんでしょうが、けっこうな費用がかか>るんでしょうね

お金かかりますよね。
江戸東京たてもの園という、東京の歴史的建物を保存しているところが小金井にあります(紫文はそこのイベントの手伝いをしています)。
聞いたところによると、東京で、小金井まで、町屋や蔵を分解して持ってきて、建て直すのに一軒2、3億かかると学芸員がいっておりました。

新音楽センターは何百億とか…、それでいけるでしょう。
Posted by 紫文  at 2010年09月18日 02:46
>紫文師匠

>余計なことを書いてしまうんです。

いえいえ、ちっとも余計なことじゃありません。

私がこのブログを始めたのも、
昔の高崎を書き残そうというのがきっかけでした。
ところが、あまりの変わり様(壊され様)に腹が立って
きて、まだ昔の面影が残っている郊外を歩き始めた
のです。

そして、他の歴史的観光地も歩いてみて、高崎の町
もまだ間に合うんじゃないかと、思うようになりました。

そうやって、また町なかを歩き始めるようになって、
今に至ります。

その間、コメンテーターの皆さんの、高崎を思う熱い
気持ちを知ることができ、また、行政や町の中にも
真剣に高崎のことを考えている人がいることも知り、
とても嬉しかったです。

今は、高崎も大丈夫!
みんなが考え、行動してる!
と思えるようになりました。

これからも、高崎にとって良いと思うことは、どんどん
教えてください。
行政や町の方にも、必ず伝わっていると思いますの
で。

いやー、すっかり長くなってしまいましたが、
これからも、どうぞよろしくお願い致します!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年09月18日 07:36
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