2010年07月23日

夏の蔵人(くらんど) 箕郷町

5月にお邪魔した、箕郷町の小さな博物館「蔵人(くらんど)」

7月に展示品を入れ替えると聞きながら、なかなか伺えずにいましたが、やっと再訪できました。

駐車場に車を止めて身支度をしていると、奥様が出て来て、「あらー!電話しようと思ってたのよー!」と声をかけてくださいました。
憶えて頂いてただけでも嬉しいのに、光栄至極な話です。

でも、次の一言にはびっくりしてしまいました。
「奥の酒蔵、壊しちゃったのよ。」
「えーーっ!!」

5月に来た時にも、既に崩れかかってはいたのですが、写真のような立派なが建っていました。

「岩戸川」というブランドを残して欲しいと言われて、下田家から移築したという由緒あるです。

あー、あれほど歴史遺産を大切にする宮川さんでさえ、残すということは大変なことなんだなと思い、内心落胆しました。

しかし、奥様の次の言葉で、その気持ちは吹き飛びました。
「解体しようとしたら、県の方からすぐ人がやって来て、こんな歴史的な建物を廃棄するのは勿体ないって、調査してから部材をみんなどこかへ運んで行ったわよ。どこかへ移築してくれるんじゃないかしら。」

お話を聞くと、その調査・解体にあたった方は、水上勝之建築研究室代表の水上勝之さんのようです。
水上さんは、群馬音楽センターの解体にも反対し、「群馬音楽センターを愛する会」を設立した方でもあります。

その話を聞いて、つい先日見学をさせて頂いた、石原町にある昭和初期の素敵な建物のことを思い出していました。
こちらの方も、止むを得ず解体しなければならない状況になっているのですが、何とか同じように、どこかへ移築できればいいなぁと思いました。

奥様にそう言うと、「また水上さんにお会いすることになっているので、話をしてみる。」と仰ってくれました。
どうなるかは分かりませんが、一筋の光を見たような気がしました。

話を戻して、蔵人の夏の展示ですが、メインは、宮川家に残されている箕輪山車飾りです。
「安政五年(1858)、彫物師当國(上州)花輪の石原丈八主信、七十二歳の作」という銘があるそうです。

これも、老朽化で解体・廃棄された山車の飾りを、宮川家で引き取って保存しておいたものです。
箕郷町では、来年、新しい山車をつくる予定になっているそうですが、その時にはこの山車飾りを使って頂くと、ご主人は仰っています。

「箕郷ふるさと夏祭り」は、7月25日(日)です。

午前10時から、昨年復元された箕輪の山車が引き回されます。

蔵人に展示されている山車飾りが、手近に見られるのは今の内かも知れません。

今年の夏はどうぞ、高崎城下町の原点、箕輪の町にお出かけ下さい。


【蔵人】





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この記事へのコメント
このようにして、一つ一つ歴史が失われ、人々の記憶からもこぼれ落ちて行ってしまうのでしょうね。

ただ、個人の力では、これらの歴史的遺産と言えるものを守っていくことは、今後益々困難になっていくのでしょう。

地方自治体が積極的に地方の歴史・文化遺産を遺す努力をしなければいけませんが、ここ20年以上、高崎は文化的教養のある市長には恵まれませんでしたからねェ(かと言って、経済を総合的に発展させる能力に長けていたわけでもなさそうですけど・・・)

ところで、迷道院さん、

>高崎城下町の原点、箕輪の町

についてですが、何故箕輪が高崎城下町の原点なのか、意味がわからないのです。
高崎の歴史に疎い人間にもわかる様に解説をお願いします。
Posted by キレイズキ  at 2010年07月24日 01:00
>キレイズキさん

歴史遺産を残すというのは、ほんっっっとに難しいことだと痛感するばかりです。

歴史的遺産に対する、相続税の仕組みを変える必要もあるのではないかと思います。
相続税を払うために、物納という形で手放さざるを得なくなったり、かと言って売却しようとしても更地でなければ売れないので取り壊さざるを得ないとか、これでは個人で守ろうとしても無理です。

ところで、高崎城下町の原点・箕輪の町の件ですが。
そうですよね、唐突過ぎましたよね。

高崎城下町を整えようとした井伊直政が、その前に城を構えていた箕輪の城下町を、そっくり移設したということなのですが、過去記事「町の元標、道の元標」で、ちょこっと書いてますので、ご参照ください。
http://inkyo.gunmablog.net/e95922.html
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月24日 07:34
迷道院さん、

早速の御教示ありがとうございます。

なるほど、そういった経緯があったのですね。

私の家は、江戸から明治に変わる頃に、新潟から曽祖父の仕事の関係で移ってきたので、群馬県になる前後の一部の事情には多少詳しいのですが、それ以前の高崎の歴史はほとんど存じませんでした。

またひとつ勉強になりました。

ありがとうございました。
Posted by キレイズキ  at 2010年07月24日 16:22
「蔵人」さん!私も気になって仕方がなかったのですが、
7月だから夏の展示ですよねー。聞いていたのにー!
ああ、行かなきゃ・・素敵な奥さまのお話を聞きたいと思いつつ、
イベントやらなにやらが重なって、「箕郷ふるさと夏祭り」も行けるかどうかあやしい状況です。グスン(ーー;
しかし・・・なんという暑さでしょうか。。。
何かしようと思っても一向に考えがまとまらず、冷房 ON で眠るのみです・・・^^。
Posted by 風子  at 2010年07月24日 16:51
>キレイズきさん

いえいえ、どういたしまして。
みんな受け売り話ですから、逆に恐縮しちゃいます。

そうでしたか、キレイズキさんのご先祖は新潟から。
高崎の大店は、ほとんどが越中・越後・近江の商人と聞きます。
高崎人は、そういう人達にずいぶん刺激されて、商売を学んだんじゃないでしょうか。

もう一度、その頃の熱気を取り戻したいものです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月24日 20:09
>風子さん

お時間をつくって、行ってあげてください。
奥様もご主人も、待ってらっしゃるかも知れませんよ。

ご主人は、相変わらずお若くて、半袖短パンといういでたちでした(^^)
とても、80過ぎとは思えません。

それにしても、暑いですねー!
今日は高崎城下町めぐりに参加してきましたが、いやー暑かったです。
日陰日陰を選んで、薮っ蚊みたいでした(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月24日 20:17
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夏の蔵人(くらんど) 箕郷町
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