2010年07月09日

「あん」でつながる新町宿

いつだったか、紫文師匠から聞いた、お薦めの饅頭。

新町(しんまち)・旧中山道沿い、酢屋(すや)製菓さんの「みそまんじゅう」です。

新町図書館へ行った帰りに思い出して、買い食いをしちゃいました。

紫文師匠のお薦めだけあって、皮の味噌味と白あんの甘さが口の中で行ったり来たりする、面白い美味しさが楽しめます。

この酢屋製菓さん、ご主人にお聞きすると、創業100年くらいだとか。

もともと、近くでの醸造を業としていたのですが、故あって先々代が饅頭屋に転業し、屋号は「寿」の字を使って「寿屋(すや)製菓」としたのだそうです。

ところが、誰も「すや」と読まずに
「ことぶきや」と読むので、「酢」の字に改めたのだそうです。

今のご主人は、若い頃、八島町にあった梅玉堂で修業されたそうで、昔の高崎駅界隈をよくご存知でした。

写真を撮るのがお好きだったとかで、昔懐かしい高崎駅舎の写真などが店の奥に飾ってありました。

いつかゆっくり、昔の写真を拝見しながら、お話を伺いたいものです。

酢屋製菓さんの前には、平成六年(1994)完成の行在所(あんざいしょ)公園があります。

パーゴラの天井には、昭和五十二年(1977)制定の町民憲章に因み、「明るい家庭」「福祉」「文化」「希望」「人間性」「住みよい町」の言葉が刻まれています。

行在所の庭園入口には、「新町道路元標」があり、塀には安藤(歌川)広重「木曾海道六十三次 新町」の浮世絵風景画が嵌め込まれています。
中山道新町宿を強く意識していることが窺えて、嬉しい気持ちになります。

明治天皇御一行が新町に一泊するという内示があったのは、巡幸の1年前でした。

新町の全役員で協議した結果、旧本陣の久保栄五郎宅を行在所として願い出たのですが、その場所が宿場の西端であったことから、警護上の問題が有り、また建物も狭過ぎるとして却下されてしまいます。

そこで、戸長の高橋均作氏が、町の中央部にある宅地300坪ほどを提供し、そこに新築することとなったのです。
建設費は788円でしたが、その調達に苦慮し、県に陳情して550円を借り入れ、残りは全町からの浄財を充てました。

明治天皇は、この時の北陸・東海御巡幸に際して、迎える側が無駄な費用をかけぬよう、次のような太政官示達を出していました。(抜粋)

1.御巡幸は親しく地方民情の視察であるから、虚飾等に流れて、人民の困苦迷惑にならぬようにすること。
2.道路、橋等止むを得ざるもののみを新造または修理を加うることがあっても、すべて官費として、決して人民の難儀にならぬようにすること。
3.行在所はその地方により、いかようであっても差支えない。特に修繕を加えぬよう、且つ社寺をこれに充てても苦しくない。ただし、行在所より約十町内外離れた場所に非常御立退きを定めておくこと。
4.御膳部一式、椅子テーブル等すべて持参する。別に用意せぬよう。

そのため、新町では「行在所」を新築したということが言えず、ここを「羈客所(きかくじょ)」(馬を繋ぎとめる所)と呼称することにしました。

この御巡幸に際して、実質的に行在所を新築したのは、新町だけだったといいます。

酢屋製菓さんの奥様が、「中を見てみますか?」と仰って、鍵を開けてくださいました。

思っていたより、ずっと質素な造りだったのに驚きました。
華美にならぬよう、つとめたことが良く分かります。

因みに、明治天皇はこの部屋にハンモックを吊るして寝たのだそうです。
何でも、床下からの刺客から身を守るためだとか。
明治十一年、まだまだそういう時代だったのですね。

3月になると、新町行在所「新町ひなまつり」のメイン会場になります。
創業100年の酢屋製菓さんにも、お雛様が飾られます。

ところで、タイトルの「あんでつながる・・・」は、お分かりだったでしょうか。
みそまんじゅうの「あん」、行在所の「あん」、安藤広重の「あん」なんですが・・・。

(参考図書:「新町明治百年史」「群馬歴史散歩 新町」「小さな町の物語 新町」)

【酢屋製菓】

【新町行在所】





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この記事へのコメント
高崎線が通ったのは、

1884年 (明治17年) 5月 1日
新町~高崎が開業、同時に高崎駅開業

明治17年だから、ご一行は馬車で来られたのですか?
西南戦争が11年に起こり、
全国にコレラの流行った年です。
よくご無事で巡行できたものです。

以前は、この店の近くに、
ラスクの原田製菓があったと思うのですが
17号沿いに総て移ったのでしょうか?
Posted by いちじん  at 2010年07月09日 13:53
>新町図書館へ行った帰りに思い出して・・・

隠士、次のテーマは新町辺りですか?

いや眼が離せません。
日々、楽しみにしております。

  夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2010年07月09日 13:57
>いちじんさん

ご推察の通り、馬車でお見えになったようです。
随行員が800人近くも来たそうで、新町で用意した人力車100台、馬50頭、人足50人とあります。
「人民の困苦迷惑にならぬよう・・・」と言いますけど、相当な困苦迷惑ですよね(^^)

ハラダ本店、酢屋製菓さんの並びに今でもありますよ。
17号沿いのお城みたいな店より、落ち着いて買い物ができて、私はこちらの方が好きです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月09日 19:55
>夢寅さん

いやー、新町図書館って新しくてきれいだし、静かでいいんですよ。
高崎の中央図書館は、人でごった返してましてね。

新町はブログネタは豊富にあるので、虎視眈々と狙ってはいますが、本心は高崎の町なかを何とかしたいな、と思ってます(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月09日 20:01
あん繋がり・・・「みそまんじゅう」おいしそうです!
天皇さんの御巡幸ともなると大変だったのですねー。今はこれほどではないでしょうが、やはり警備などは大変のようですね。
行在所、読めないです。お陰さまでいろいろ勉強になります。新町はご縁がないのですが、行ってみたくなりました^^。
Posted by 風子風子  at 2010年07月09日 20:58
続きです(^^ゞ
ボンヤリなので、あとから気がつきました。
タイトルがスッキリ、かっこよくなったのですねー!内容にマッチしていて素敵ですね^^。
Posted by 風子風子  at 2010年07月09日 21:01
中核市の市長で「有終の美」を飾りたく仕方がない市長が、市民の反対を無視して強引な合併を繰り返した結果、市内の(敢えて「市内」と言わせていただきます!)新町を「あらまち」とひらがな標記にさせてまで、多野郡新町を「飛び地」の形でも合併編入してしまいましたね。

あ~あ、新町(多野郡の方です)の人たちも、別に高崎市民になりたかったわけじゃないよねェ。

元多野郡新町には、新町の文化があったのですよ。 酢屋さんは知らなかったですけど、宝泉堂さんという和菓子屋さん、渋谷時計店(先代はゼンマイ式掛け時計や機械式時計をよく修理してくれました)など、高崎市内に負けないいい腕の職人さんの店があったんですよ。

原田パン屋は、元は売れない和菓子屋(失礼)で、戦後学校給食のパン屋(あれ? どこかの市長のパン屋と同じようだ)を併設で始めたけれど、美味くないパンだったので、一般販売が上手く行かず、余ったパンをラスクにして売ったら・・・・、でトントン拍子に・・・と、地元の事情通に聞いたことがあります。

ま、大阪の阪神百貨店の地下でも常に行列が出来るほどですから、時の勢いは凄いものですねェ(笑)。
Posted by キレイズキ  at 2010年07月09日 21:44
>風子さん

えへへ、タイトル頑張ってみました(^^)

新町は、母方の祖父母が住んでたので、子どもの頃はよく連れられて行ってたんです。
でも、ある時期からすっかりご無沙汰で、今行っても記憶とのズレがかなりあります。

それでも、高崎の町なかよりは昔の面影が残ってます。
ぜひ一度、みそまんじゅうを食べがてら、散策して見てください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月09日 22:12
>キレイズキさん

私も「あら町」という表記には愕然としました。
多野郡新町の方を「多野新町」とでもすれば、双方の歴史が残っていいのにと思いました。

今をときめくハラダさんも、そういう歴史があったんですかー。
何が幸いするか、分からないもんですね。
最後は、アイデアが勝負ということでしょうか(^^)

町づくりも、いいアイデアを出していきたいところです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月09日 22:28
迷道院様、古くからの街道沿いのおまんじゅう屋さんは風情がありますよね。以前通った甲州街道の上野原あたりも街道沿いに「酒まんじゅう屋さん」がたくさんあっていい感じです。
実は小生も高崎市内の「あら町」という信号に付けてあった表記に違和感がありました。
実際、新町で仕事していると通るパトカーは藤岡署だったりしてまだ複雑なんですよね。
もう大分慣れましたが、合併当初は小生の住所を書類に書く時、高崎市箕郷町まで書くとしばらく違和感がありました。群馬郡と書いていた時代がなぜか懐かしいです。
というか、群馬町みたいに、いっそ箕郷町をぬいてダイレクトに柏木沢町のほうがかっこ良かったかなあ。しかし柏木沢を「町」と標榜するのはかなり無理がありますけど(笑)
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年07月10日 05:10
>柏木沢の農家おじさん様

群馬県群馬郡群馬町というのは、すごくインパクトのある地名で、他県の方にもウケてたんですけど、残念でしたよね。

お饅頭というのも、不思議な食べ物です。
何処へ行っても、必ずありますものね。
しかも、それぞれ特徴があって。
今、県立博物館でやってる上州粉物展も面白かったです。

「たてっけぇし」、名物にならないかなー?
(また言ってます。)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月10日 06:41
お久しぶりです。
いつも拝読しております。


新町は地図で見ると多野郡新町の時から町名が全て「新町○○番地」なのですね。

交差点やバス停には笛木町、橋場町、宮本町など旧町名が残っていますが、貴重な歴史遺産だと思います。
Posted by ふれあい街歩き  at 2010年07月10日 16:10
 私も父が新町出身なので、懐かしいですが、
先日久しぶりに行きまして・・・
高崎の駅前に比べればまだ昔の面影は少しだけありますね。
 迷道院様ご提案の「多野新町」、
とてもいいと思うんですけど・・・
私が子供の頃は新町も笛木町、宮本町、という表記を使っていた記憶があります。
いつからか今の味気ない地名表示になり、密かに「イナカ臭いよ!!!」と思っていたんですが・・・(^^ゞ
本当の高崎市新町(あらまち)育ちで、今は県外にお住まいの方に、今回の帰省でお会いしましたが、
駅前の変貌に驚き、かつ「あら町」に憤ってらっしゃいました・・・
原田のラスクは「群馬県にすごく美味しいのがあるんでしょ?」と聞かれるほど有名。
私はネット通販で取り寄せたり、友人にプレゼントしたりしています。
帰ってもSランか新町でしか買えないので、なかなか時間がありません。
某市長さんちの「ト×●ノンM浦」はまだあるんでしょうか?
Posted by 故郷離れて  at 2010年07月10日 16:46
>ふれあい街歩きさん

いやー、本当にお久しぶりです!
ずっと見て下さっているとは、実に嬉しいです!

仰る通り、町名とくに字名は歴史遺産だと思います。

新町(あらまち)は、和田時代の金井宿、馬上宿の後に出来た「新しい町」という意味だそうですから、新町と書かないといけないと思います。
あら町では、荒町になってしまうかも知れません。

もう、戻せないんでしょうね。
残念です。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月10日 19:31
>故郷離れてさん

「九蔵町の一里塚」でコメントを頂いた、故郷離れてさんでしょうか?
お久しぶりです!

「ト×●ノンM浦」(^^)、ご健在ですよ。

ハラダのラスク、すごいらしいですね。
私は、買う時はほとんど本店に行きます。
なんか、本物を買ったんだぞ!って気になるんですよね(^^)

酢屋製菓さんの、みそまんじゅうもお奨めですよ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月10日 19:41
最初のコメントを訂正してお詫びいたします。

西南の役は、明治10年(2月~9月)でした。
コレラの流行で6817人死亡したのも
明治10年でした。
付けたし
同じく明治10年
新町屑糸紡績所開業とあります。
明治天皇はここをご覧になったのだろうか?
Posted by いちじん  at 2010年07月11日 06:23
>いちじんさん

ご丁寧に、ありがとうございます!
流石いちじんさんらしい、きちんとしたコメント訂正で、お人柄が察しられます。

屑糸紡績所、明治天皇はご覧になってるようですね。
行在所を午前7時に出て(早いですね)、屑糸紡績所に入り、8時過ぎにはもう岩鼻の方へ向かっています。
強行軍ですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月11日 07:52
原田のラスクの経過はちょっとちがいますねえ。
紫文が子供のときに買ってました。
今のようなラスクでなく、例のどこにでもある色のついた砂糖のかたまりを片面に塗ったものです。

ですから今のラスクとは別物、息子さんが工夫したものだということです。
今は東京だけでなく大阪のデパートでも行列してます。

「多野新町」に賛成です!
紫文も元高崎市民として「あら町」は許せませんし、元々、新町(しんまち)生まれの紫文の同級生たちも、島嶼を覗けば日本で一、二を争う小さな町であり、歴史のある「新町(しんまち)」にこだわりをもっています。
「中山道新町」も考えましたが「多野新町」でしょ、やっぱり。

「群馬県群馬郡群馬町」なくしちゃいけない名前です。
なんといっても日本で唯一ですから。

神奈川県横浜市神奈川区と一緒になってしまう…(T_T)
Posted by 紫文  at 2010年07月13日 00:12
>原田のラスクの経過はちょっとちがいますねえ。

紫文さん、

私の書いた内容についてでしょうかねェ。

いえいえ、大筋では間違ってはいませんよ。
念のため初めてハラダのHPも見てみましたが、概ね私が記した通りですね(売れない和菓子屋だったとか、一般販売のパンが評判がよくなかったとは、さすがに書いてはありませんでしたけれど(笑))。

まあ、ラスクも最初から売れたわけではなく、先代が始めたラスクを息子が工夫して爆発的に売れるようになったのでしょうね。

確かに、東京でも人気が出たのはここ10年位ですしね。

数多の百貨店からの出店依頼があるにも係わらず、全国で7店舗ほどしか出店していないので、どこででも手に入るものではないという、ある意味「希少価値」を売りにする経営戦略も中々のものですね。
Posted by キレイズキ  at 2010年07月13日 00:45
>紫文師匠&キレイズキさん

お二人のお話し、たぶんどちらもその通りなんでしょうね(^^)
近くで生まれ育った師匠と、地元の事情通の方のお話ですから。

「あら町」と「多野新町」については、みなさん概ね同じお気持ちのようで、嬉しかったです。(本当は悲しまないといけないのかなぁ・・・。)

ある家の玄関に「第三区頭取長」という看板が掛けてありました。
新町では区長さんを「頭取長」って言うんでしょうか。
カッコいいなぁと思いました。

なにごとに於いても、ネーミングは大切ですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月13日 07:35
こんにちは あら町住人の元気が一番です。

新町との合併で町名(表記)を変更したのは、複雑な思いではありました。新町の人も気持ち良く合併してもらう為と理解はしていますが、お上に対しては、何百年と続く町名と云う歴史資産を何だと思っているんだ!と思っています。
歴史や伝統を守るといった面以外にも、音は変わらず表記のみ変更でしたが、しばらくは郵便・宅配便・カーナビ・ネット上のマップなど様々なものが混乱していました。商店・企業によっては看板やパンフレットや封筒・名刺まで刷り直しをするところもありました。
せっかくここまで苦労して合併したのですから、旧高崎市も新町も『合併の実』を取りたいですね。
古き良きもの・歴史資産は捨てたり壊したりするのは簡単で、あっという間に出来てしまいます。これからはもっと手間・暇を掛けて古き良きもの・歴史を残す高崎市になってほしいと思います。
Posted by 元気が一番!  at 2010年07月13日 08:17
>元気が一番!さん

あ、当事者の方からのコメントを頂きましたね。
ありがとうございます!

私如きが、当事者の方を差し置いてつべこべ言っては失礼かなと思いながらの発言だったんですが、思いは元気が一番さんと同じだったことで、少しホッとしています。

昔から合併・分割は行われてきたことなので、それに伴って地名が変わることも止むを得ないとは思うんです。
ただ、先人が悩み抜き、故事・来歴を元に工夫を凝らしたのと同じ程度の努力は、しないといけないと思うのです。

私が最も尊敬するのは、旧六合村です。
歴史も分かり、教養あふれるいい地名だと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月13日 10:18
原田の件ですが、

新町の人にとって原田はパン屋ではありますが、唯一のケーキやです。ちゃんと作るケーキやさん他になかったですから〈当時としては〉おいしかったです。
ケーキ売れていました(^_^;)
正面のショーウインドーにはケーキでした。

40年以上前ですが、ラスクはその他の駄菓子のような扱いでおいてあっただけです。
当時からラスクが売っているのしっていた人あまりいないのじゃないかと思います。
同じラスクという名前でも、同じ名前でくくれない、全然違うラスクでした。
例のどこにでもある色のついた砂糖のかたまりを片面に塗ったもの(駄菓子屋にあるようなものにちかいもの)を5,6枚だったかな、袋にいれて売っていたのです。

実はラスク好きで、その着色した砂糖のかたまりのついたラスク、いつも食べてました。当時、たぶん私が原田のラスクを一番食べていたと思います。

でも昔から新町でだれでも知っているお菓子は「とみや」の「太鼓焼き」です!

と思っていたら高崎市民新聞に載ってました…
Posted by 紫文  at 2010年07月13日 12:40
そういえば、先日「お中元」にハラダのラスクとコーヒーゼリーをいただきました。

ラスクはスタッフにはそこそこ好評でしたが、コーヒーゼリーは、1個250円もすると解ると「え~~?? コンビにの150円のコーヒーゼリーの方が美味しいッ」という声も・・・。

いろんな方面に手を広げてるんですね。

ただ、本業(和菓子屋)が上手くいかなかったのが幸いすることもあるという、素晴らしい見本の一つではありますね。
Posted by キレイズキ  at 2010年07月13日 13:29
紫文さんへ

原田のケーキ、思い出します。
子供のころ、なかなかケーキは
口にできませんでした。
年に一度、新町の会社に勤めていた父が
クリスマスの晩に買ってきてくれたのが
原田のクリスマスケーキ。
日頃、ケーキなど口にしたことがなかったので
このケーキが美味しかったこと。
妹と大きい方を取り合ったものでした。
昭和30年代のことでした。
今食べても、あの美味しさは
味わえないんだろうな。
Posted by いちじん  at 2010年07月13日 15:14
>紫文師匠、キレイズキさん、いちじんさん

いやー、すっかり原田で盛り上がっちゃいましたねー。

師匠、昔の原田ラスクってあれですか、あのよく動物のビスケットの方側に色のついた砂糖みたいなの、あんなのが付いてたんですかね。
復刻版で、また作ったら売れそうですね。
それで、「本店限定品」かなんかにして。

キレイズキさん、ハラダのコーヒーゼリーも、いつか大化けするかもしれませんよー(^^)
そしたら、みんなでまた盛り上がりましょうね。

いちじんさん、物がない頃は何でも美味しかったですよね。
私なんぞ、葬式饅頭が大好物でしたから。
いつの間にか、ものの味が分からなくなって、有り難さも感じ難くなったような気がします。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月13日 19:52
原田物語・・・其の五(位?)

先週末、羅漢町にある寿司屋で、新町で比較的大きな事業をされている方と話をする機会があり(きっかけは、カウンターの私の隣に座った彼が、いきなりタバコを出したので、タバコの臭いが苦手な私が、空いてる席に移動したので(だって、寿司屋ですよ。味も香りもへったくれも無くなっちまいます)、彼が煙草呑みには珍しく、キチンと詫びてきたので、そこから話が始まったのですが・・・。

その彼が新町ということで、合併のことやらなにやら話しているうちに、「ハラダ」の話になりました。

やはり以前私が書いた通り、売れない和菓子屋・パン屋(紫文さんの仰っていた様に「ケーキ屋」でもありましたね)だったけれど、先見の明があった息子が「コンサルタント」を入れて、東北で売れている「ラスク」を「真似て」、売れ残りのフランスパンではなく、それ専用にパンを焼いて作るようにし、パッケージから包装デザイン、販売方法までコンサルタントの指導通りにしたら、売れるようになったんだそうです。

でも、あのラスク、グーテ・デ・ロア(王様のおやつ)と言うそうですが、少なくとも私達が想像するルイ王朝時代のフランスの王様は、あんなバケットを焼いたものに砂糖を塗っただけの、菓子とも言えないような物なんぞ、おやつに食ってた訳がないよと、大笑いしてますがね。

しかしハラダは、カネボウも撤退し、自衛隊も大幅に縮小されてしまった現在の新町では(昔は宿場町、その後花街としても栄えていたそうです)、地元の雇用と納税で町に貢献している重要な企業なのだそうです。

ガトー・フェスタ・ハラダ、ガンバレ!
(自分で買ってまでラスク食べませんけど・・・(笑))
Posted by キレイズキ  at 2010年07月21日 02:52
>キレイズキさん

いつもコメントありがとうございます!

皆さんのコメントだけで、ハラダ一代記(二代記?)になりそうですね。
ありがたいことです。

お寿司屋さんでの出会いの話も、妙に感動してしまいました。
禍転じて福になって良かったです。
ハラダさんも良いコンサルタントの方に出会って良かったですよね。
人間、どういう人に出会うかというのは、その後に大きな影響を与えるもんなんですね。

そのことが、また次の出会いを生んで、雇用や町の財政まで左右する。
考えさせられる話です。

みんなで、がんばりましょう!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月21日 07:18
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