朝早く、遠野の駅前に行ってみました。
駅を背にして町の方向を眺めると、こんな感じです。↓
まだ人が出てくる前なので、寂れた町に見えるかもしれませんね。
でも私は好きな風景です。
この駅前だけでも、遠野らしいこだわりを沢山見つけることが出来ます。
味のあるこの駅舎、昭和二十五年(1950)に建築されたものを、そのまま使っています。
煉瓦風の重厚な駅舎は、平成十四年(2002)、東北の駅百選に選定されています。
実は、わが高崎にも、大正六年(1917)に改築した、けっこう味のある駅舎が昭和五十七年(1982)までありましたが、上越新幹線開通に伴って、のっぺりした駅ビルに姿を変えてしまいました。
最近どこの駅前にも、モニュメントが建っていますが、遠野駅前のそれはちょっと趣きが違います。
池の中で語らっている河童の姿に、思わず、「おー!」と声を上げたくなりました。
遠野という町が持っている宝物は何なのか、町自身がよく考えていることをうかがわせます。
その証拠に、遠野の駅前には河童が沢山いるんです。
遠野の行政は、河童を始めとする民話に、徹底してこだわります。
こうなると、民間だって場違いな建物は建てられないのでしょう。
日本通運前の広場に、「何だろう?」と思うものがありました。
モニュメント手前の、丸い井戸のようなものです。
近づいて覗いてみると、こんなのがありました。
うーん、やりますねー。
駅前交差点の信号機も、なかなかやってくれてます。
高いところなので、うっかりすると見落としてしまいますが、てっぺんに何かあるのです。
実は、こんなのが乗っかってます。
このような遊び心というか、いたずらっぽいところが、いかにも遠野らしいと思います。
どなたの発案かは分かりませんが、このアイデアを実現した行政の方々の柔らかさに、敬意を表したいと思います。
(因みに、わが高崎にもありました。遊び心を持ったこんなのが。)
遠野駅前の一角には、町の由緒を書いた大きな看板が建っていました。
遠野の町も、地方都市のご多分にもれず、バイパス道路の開通に伴う郊外型大型店の進出が相次ぎます。
加えて、観光施設の郊外化も進み、町なかの観光客が減少するなどの、深刻な中心市街地空洞化がおきたようです。
対策として、平成十四年(2002)に「活性化センター」という集合店舗を開設したり、「町屋のひな祭り」というイベントを開催したりしますが、空洞化に歯止めをかけることはできなかったそうです。
そこで、平成十八年(2006)に、市民協働による「遠野まちなか賑わいプロジェクトチーム」を発足して、1年間かけて検討を進めました。
そして、結論付けた基本理念が、
「城下町・宿場町などの歴史風土と、遠野物語に代表される貴重な文化遺産を基盤としながら、市民とともに町づくりを進める」
ということだったそうです。
次回は、その中心市街地をご紹介したいと思います。
駅を背にして町の方向を眺めると、こんな感じです。↓
まだ人が出てくる前なので、寂れた町に見えるかもしれませんね。
でも私は好きな風景です。
この駅前だけでも、遠野らしいこだわりを沢山見つけることが出来ます。
味のあるこの駅舎、昭和二十五年(1950)に建築されたものを、そのまま使っています。
煉瓦風の重厚な駅舎は、平成十四年(2002)、東北の駅百選に選定されています。
実は、わが高崎にも、大正六年(1917)に改築した、けっこう味のある駅舎が昭和五十七年(1982)までありましたが、上越新幹線開通に伴って、のっぺりした駅ビルに姿を変えてしまいました。
最近どこの駅前にも、モニュメントが建っていますが、遠野駅前のそれはちょっと趣きが違います。
池の中で語らっている河童の姿に、思わず、「おー!」と声を上げたくなりました。
遠野という町が持っている宝物は何なのか、町自身がよく考えていることをうかがわせます。
その証拠に、遠野の駅前には河童が沢山いるんです。
郵便ポストの河童 | 駅舎の屋根の河童 | 河童の交番 |
遠野の行政は、河童を始めとする民話に、徹底してこだわります。
バス乗り場 | 観光協会 | ふるさと公社 |
こうなると、民間だって場違いな建物は建てられないのでしょう。
日本通運 | 居酒屋さん | 一般の民家 |
日本通運前の広場に、「何だろう?」と思うものがありました。
モニュメント手前の、丸い井戸のようなものです。
近づいて覗いてみると、こんなのがありました。
うーん、やりますねー。
駅前交差点の信号機も、なかなかやってくれてます。
高いところなので、うっかりすると見落としてしまいますが、てっぺんに何かあるのです。
実は、こんなのが乗っかってます。
このような遊び心というか、いたずらっぽいところが、いかにも遠野らしいと思います。
どなたの発案かは分かりませんが、このアイデアを実現した行政の方々の柔らかさに、敬意を表したいと思います。
(因みに、わが高崎にもありました。遊び心を持ったこんなのが。)
遠野駅前の一角には、町の由緒を書いた大きな看板が建っていました。
遠野の町も、地方都市のご多分にもれず、バイパス道路の開通に伴う郊外型大型店の進出が相次ぎます。
加えて、観光施設の郊外化も進み、町なかの観光客が減少するなどの、深刻な中心市街地空洞化がおきたようです。
対策として、平成十四年(2002)に「活性化センター」という集合店舗を開設したり、「町屋のひな祭り」というイベントを開催したりしますが、空洞化に歯止めをかけることはできなかったそうです。
そこで、平成十八年(2006)に、市民協働による「遠野まちなか賑わいプロジェクトチーム」を発足して、1年間かけて検討を進めました。
そして、結論付けた基本理念が、
「城下町・宿場町などの歴史風土と、遠野物語に代表される貴重な文化遺産を基盤としながら、市民とともに町づくりを進める」
ということだったそうです。
(遠野市文化政策部文化まちづくり推進室 佐々木憲康氏
「中心市街地の活性化に向けて」より)
「中心市街地の活性化に向けて」より)
次回は、その中心市街地をご紹介したいと思います。