2010年06月04日

お袋が旅立った日

22年前の今日、お袋は80歳で旅立ちました。
私は会社の宿泊研修で榛名湖畔にいたため、見送りには間に合いませんでした。

お袋が旅立った日苦労して育ったお袋は、子どもの頃の写真がありません。

この写真は一番どん底だった頃、5歳の私と一緒に、高崎公園で撮ったものです。

保証人になったがために、高崎駅前に開いていた店を失い、公園近くの知合いの家に、一家四人で間借りしていました。

記憶力の乏しい私が鮮明に覚えている、この頃の記憶があります。

お袋と公園の近くを歩いていた時、八百屋のガラス容器の中にある「貝のヘリ」を、なぜか無性に食べてみたくなったのです。
「母ちゃん、あれ買ってー。」とねだります。
お袋は財布から2円を取り出して、「買ってきな。」と私一人に買いに行かせました。

後日聞くと、そのとき財布の中には、その2円しか入ってなかったそうです。
大人じゃ2円持って買いには行けないけれど、子どもになら売ってくれるだろうと思ったようです。
しかし、八百屋のおじさんは売ってくれませんでした。
「ほらみー(ほらみてごらん)、売ってくれないじゃないかー!」と、泣いてお袋の所に駆け戻ります。
そのあとのことは記憶にないのですが、「少しでいいから売ってやってくれ。」と頼んだけど、「2円じゃ、売りようがねえ。」と言われたそうです。

お袋は、「あの時ほど、みじめだと思ったことはなかった。」と、この話をするたびに言っていました。
私も、いまだに「貝のヘリ」を見ると、その時のお袋の気持ちを思って、鼻の奥がツーンとなります。

お袋は、7人兄弟姉妹の次女として生まれました。
貧しかったので、小学4年生で子守奉公に出されます。
「ろくすっぽ学校に行かなかったけど、小学校の免状だけはお情けで貰った。」と言ってました。

嫁いでからは、姑で苦労し、昔気質の夫にも苦労して、おまけに人の良さが災いして、他人の借金で長いどん底生活を味わうという、苦労続きの人生でした。
それでも、生涯、人の良さを失うことのなかったお袋でした。
「あの頃みんな(?)貧乏だった」にも、ちょこっとエピソードを載せてます。

どんな時でもへこたれず、「思うは叶う」が口癖でした。
そんなお袋に、この歌を贈りたいと思います。

「僕が生まれた時のこと」作詞・作曲・唄:安達充






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Posted by 迷道院高崎 at 07:03
Comments(14)◆私事雑感
この記事へのコメント
高崎駅前、高崎公園、高碕神社。 
まさに高崎っ子ですね。 

お腹を空かしてる程ではないけれど、
そこそこに、貧乏でしたね。 
親にねだらないのが、私の特徴でした。 
諦めていたというか、
ねだると親が困るとおもうと、
ねだれなかつたんでしょうね。多分。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年06月04日 08:19
群馬出身のあの高名な漫画家「あだち充」さんと同じ名前の方なんですねー、ビックリしました。
ソングレターアーティストと名のっておられる通り、淡々としかもストレートに迫ってくるものがあり・・・泪ぐんでしまいました。

年を重ねると、いつの間にか親と同じしぐさや行動をしている自分に気付いてハッとすることがありますが・・・DNAなのでしょうね^^。
Posted by 風子  at 2010年06月04日 09:39
>捨蚕さん

ねだらなかったんですか?
親孝行でしたね。

その点私は、ずいぶん辛い思いをさせたかもしれません。
でも、そんなことをおくびにも出さず、いつも明るく、何とかしてしまう親でした。
形は無いけど素晴らしいものを、沢山与えてもらったと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月04日 10:09
>風子さん

いい歌でしょ?
私も、何度聞いてもウルウルしちゃいます。

DNAですか。
私も親と同じしぐさをしてるのかなぁ?
時々「親父なら、お袋なら、こんな時どうするのかな?」と思うことはありますね。

いつまで経っても、親の大きさと深さを越えることが出来ません。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月04日 10:16
「僕が生まれた時のこと」の歌の
紹介をありがとうございます。

今月の末に、母の一周忌を迎えます。
大正12年生まれで、
もう少しで86歳でした。
亡くなる日の前日の朝、作った短歌、
「紫陽花も 茄子も紫 濃さ違う
  亡夫に供える 息子なりけり」
Posted by いちじん  at 2010年06月04日 15:44
大衆の時代でしたね・・・・・

高砂町の横丁も、二畳一間の間借りとか、
6畳一間に7人家族なんていうのも当たり前でした。
恵まれてたといわれてた僕も「貰いっ子」その負い目から逃れることはできませんでした。
戦後ということもあったわけですけど、発展途上国でしたねあの時代。

思い出します。昭和30年代・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年06月04日 19:10
>いちじんさん

いちじんさんのお母さんも、6月に旅立たれましたか。
捨蚕さんのお父さんも、たしか6月でしたね。

旅立たれる前日の短歌、宝物ですね。
私も、たくさんの宝物をもらいました。
親って、有り難いですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月04日 19:38
>昭和24歳さん

貧しかったのに、根拠もなく希望を持ってましたよね、あの頃。
親も、この子が働くようになれば・・・って思っていたようです。

希望を感じられる、いい世の中になって欲しいと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月04日 19:48
迷道院様のお母様も苦労されたんですねー。
でもうちのお袋なんかも昔の苦労話を語る時、苦労を苦労と思ってないふしがあります。
今の若者が聴いたら驚く様な話もニコニコしながら話します。たとえば小学校の頃、雪の朝に貧乏で下駄が無く「金古小学校まではだしで通ったんだよ。あはは。」
といった具合です。昔の人は強かったんですねー。
ところで迷道院様、「貝のへり」って初耳なんですが、どういうものなんですか?はずかしながら質問です。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年06月05日 16:45
>柏木沢の農家おじさん様

>苦労を苦労と思ってないふしがあります。

そう、そう、そうなんですよ。
辛抱強くもあったんでしょうが、上手な諦め方が出来たんだと思います。

「貝のヘリ」、言われてみて「?」と思いました。
もしかして、自分だけそう言ってたのかもしれません。
世間では、「貝のひも」と言うらしいです。
これです。↓
http://www.kamoifood.co.jp/goods/bskaihimo.htm

「眉毛」のことを、「まみげ」と言って通じなかったことを思い出しました(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月05日 18:38
柏木沢さま、よくぞ訊いて頂きました!
私も「貝のへり」って何だろう?と思ってので・・・。「貝ひも」とわかって納得です^^。
ちなみに、こんな情報がありましたー。

ホタテ貝といえば、貝柱の方が有名ですが、貝柱の周りにひも状になっている外套幕(みみ)が「ひも」とも呼ばれ、「貝ひも」と呼ばれるようになりました。
ちなみに、この「貝ひも」の部分がホタテの体に当たる部分なんですよ。点々になっている斑点が目、回りのビラビラが触手。貝殻を製造する部分でもあり、貝柱を中心にして盛りたて、スリムな体でがんばっています。2枚貝は普通2ケの貝柱を持っていますが、ほたて貝の貝柱は1ケは退化し、片方のみ巨大化しました。
Posted by 風子風子  at 2010年06月05日 21:02
>風子さん

やっぱり「貝のヘリ」は、通じてませんでしたか!

誰だ!俺に「貝のヘリ」って教えたのは!
・・・たぶん、お袋だと思います。
「まみげ」もそうでしたから。

「ヘリ」は「縁(へり・ふち)」で、貝の周りの「ひも」をそう言ったんでしょうね(^^)

それにしても、生物学的には「貝ひも」がホタテの本体だというのは、びっくりでした!
「貝柱を中心にして盛りたて、スリムな体でがんばっています。」というあたりは、夫と妻の姿を連想してしまいました。

何事も、深く調べると面白いものですねー。
柏木沢さんと風子さんのおかげで、いい勉強になりました。
ありがとうございました!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月06日 06:53
改めて「僕が生まれた時のこと」を聴きました。子となり、親となり、爺となりました。    振り返れば一瞬です。            捨蚕さんのコメントを読み、ハッとしました。 ご子息が大活躍されていることを天空から身守られていることでしょう。
Posted by いちじん  at 2022年09月26日 21:39
>いちじんさん

この記事を書いてから、もう12年経ってました。
時の過ぎるのはほんとに速いものです。
時を大事にしながら、かつコセコセせずに、ゆったり過ごしていけたらいいなと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2022年09月27日 17:01
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お袋が旅立った日
    コメント(14)