2010年06月02日

東北ぶらり旅 遠野編(3)

「カッパ渕」の北、国道の向こう側に藁葺き屋根の家々が並んでいます。


昭和五十九年(1984)に、遠野地方の民俗を伝承する目的で造られた「伝承園」です。

駐車場に建てられた石看板には、三頭の馬の絵が描かれています。
これは、遠野の伝統行事「馬っこつなぎ」で使われる、お札の絵柄だそうです。

近くに、「馬っこつなぎ」の謂れを書いた、モニュメントが建っていました。

それにしても、いい雰囲気の川です。

ここもまた、民話のふるさとの景観を壊さぬよう、配慮されているのが分かります。


「伝承園」の案内看板です。

園の入口で管理棟にもなっている「乗込」という建物は、農家で物置や作業場として使われていた納屋を、移築したものだそうです。

入口を入ると正面に、「板倉」と呼ばれる建物があります。

農作業をするための建物ですが、日の光を必要とする作業の時は、壁の板をすべて取り外せるようになっているのだそうです。

←現在の「板倉」は、民話を聞く場になっているようです。

「板倉」の隣には、「菊池家曲り家」があります。↓




250年も前に建てられたものを移築したのだそうです。

←「曲り家」からの廊下を進むと、「御蚕神堂(おしらどう)」に入れます。

ここには、千体の「オシラサマ」が奉納されています。
「オシラサマ」は養蚕の神様ですが、目の神様でもあり、女性の病の神様でもあります。
また、その音(おん)から、これから起こることをオシラセ(お知らせ)する、予言の神様でもあるそうです。

その「オシラサマ」には、悲しい民話が伝わっています。
くげさんの「雨月民話風呂」をご覧ください。

「曲り家」というひとつ屋根の下で、馬と人間が一緒に暮らすほど、この地方の人にとって馬は大切で身近な生き物だったのでしょう。
「馬っこつなぎ」という伝統行事も、「オシラサマ」という民話も、その表れだと思います。

←これは、「雪隠」です。

面白いのは、展示物である昔の「雪隠」(左側)の建て屋に、入園者用のトイレ(右側)も設けていることです。





昔の「雪隠」は、渡された板を跨いで、上から下がっている縄につかまりながら、用を足すのだそうです。→


「雪隠」の中には、こんなのがありましたが、説明はありません。
ただ「使用前」「使用後」とだけ書いてあります。
たぶん、・・・そうなんでしょうね。

使用後のものは、そのまま畑に埋めて肥料にするようです。

そういえば、馬屋にワラを敷くのは、馬の寝床だとばかり思っていましたが、馬の糞尿を含むワラを、馬に踏ませることによって発酵させ、よい肥料を作るためだということです。
何事も無駄にしないという先人の心掛けには、本当に頭が下がります。

そんなことを書いていた日の新聞に、こんな記事が掲載されていました。


今の時代でも、考えている人は考えているんですね。しかも、実行しているところが尊敬できます。
それにしても、「蕗」(ふき)の名前の由来って、「拭き」だったんですね。

ということで、今日の話はここら辺が落としどころでしょうか。

次回は、いよいよ遠野の町なかを、ご紹介する予定です。


【岩手・遠野「伝承園」】





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この記事へのコメント
遠野・・・・・

いいですねぇ。星空も綺麗でしょ!!

盛岡まで足は延ばされましたか?

それともその道中?

もし盛岡に行かれたら、カワイ楽器をお尋ねください。
国井君という古き友人がいます・・・・
私は元気にやっているとお伝えください。

「わんこそば」も美味しいですよ!!
盛岡冷麺も・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年06月02日 08:59
民話の語り部が最後に「どんとはれ」と言うのは、「おしまい」の意味なんでしょうかねぇ。多分そうでしょうと、勝手に解釈しています。

今年も、ご近所の方から蕗を沢山頂いたので、気合を入れて砂糖煮を作っていたところです。量が多いので、けっこう手間がかかります。よくお土産品で売っていますね。乾燥させてグラニュー糖をまぶしてある、あれです。お菓子として好きな方がいるので、差し上げると喜んでくれます。
葉っぱの話ではなくて、茎のお話・・・でした^^。
Posted by 風子  at 2010年06月02日 15:00
盛岡には、三男がいます。
後、数年はいるようです。三男がいるうちに、早池峰山に行きたいと思っていますが、ちょっと、厳しいです。

小学生の頃は、浄化槽がまだ普及していませんでした。小さな畑に麦を作っていましたので、母と二人で糞尿を担ぎ、肥料として使っていました。江戸時代と同じでした。

この記事、私も注目して読みました。ふん、ふん、こんな人がいるんだ。うちの庭にはフキが沢山生えています。今まで葉っぱは捨てていましたが、今度採った時は、拭くのに使ってみようかな?
Posted by いちじん  at 2010年06月02日 15:53
>昭和24歳さん

コメントありがとうございます!

実は、5月連休翌週の人出が少ない時を狙っていってきました。
そんなことが祟ってか、雨に降られっぱなしで、きれいな星空は拝めませんでした。

遠野から平泉へ回りましたので、盛岡にも寄らず、わんこそばも冷麺も・・・。
ご期待に外れた行動ばかりで、申し訳ありませんm(__)m

でも、東北はいいですね。
秋には、もう一度なんて思ってます(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月02日 19:09
>風子さん

「どんとはれ」、仰るような意味みたいですね。
遠野の語り部の人が言ってたのは、「はれ」というのは、農作業の終わりに着物についた藁屑を「払う」ことだそうで、お話は「もうお終い」ということらしいです。

群馬県の民話では「いちがさけた」と言うようです。
「家が栄えた」ということで、「めでたし、めでたし」ということになるんだそうですよ。

「蕗の砂糖煮」ですかー。
そうですね、出来合いのものしか食べたことありません。
ご近所に住んでいれば、よかったなー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月02日 19:22
>いちじんさん

ご子息、盛岡ですか。
それは、いちじんさん、ぜひ行ってあげて下さい。
その時は、カワイ楽器の国井さんによろしく!

私は高崎の町なかっ子ですけど、子どもの頃はやはり汲み取り式で、たぶん農家の方だと思うんですが、桶を大八車に積んで、柄杓で汲み取りに来ていました。
で、床屋をしていたので、髪の毛も肥料になるとかで、持って行く人もいたと聞いています。

今風に言えば、エコロジーな循環型社会だったんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月02日 19:34
白河以北・・・・

は、とくにいですね。

10年前は東北北海道出張の毎月でした。
平泉の金色堂もその道すがらも良いです。
山形から天童、新庄、湯沢、横手、秋田、大館、弘前、青森・・・・・
一度、遠野から陸前高田、気仙沼、松島、仙台と行商したことがありましたけど・・・・
日本海側と比べてその色の鮮やかさといったらありません。瀬戸内もいいですけど、あの三陸の海岸線はなんとも言えません。

話は尽きませんのでほどほどに・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年06月03日 15:18
>昭和24歳さん

そうでしたか、昭和24歳さんにとって、東北は特に思い出の多い地だったんですね。

今回のぶらり旅は、ちょっと欲をかき過ぎて、時間が足りませんでした。
もう一度、ゆっくり一つの町を味わいたいと思いました。

旅人に「もう一度来たい」と思わせる町、わが高崎もそういう町にしたいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月03日 19:09
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