「カッパ渕」の北、国道の向こう側に藁葺き屋根の家々が並んでいます。

昭和五十九年(1984)に、遠野地方の民俗を伝承する目的で造られた「伝承園」です。
駐車場に建てられた石看板には、三頭の馬の絵が描かれています。
これは、遠野の伝統行事「馬っこつなぎ」で使われる、お札の絵柄だそうです。
近くに、「馬っこつなぎ」の謂れを書いた、モニュメントが建っていました。
それにしても、いい雰囲気の川です。
ここもまた、民話のふるさとの景観を壊さぬよう、配慮されているのが分かります。

←「伝承園」の案内看板です。
園の入口で管理棟にもなっている「乗込」という建物は、農家で物置や作業場として使われていた納屋を、移築したものだそうです。

入口を入ると正面に、「板倉」と呼ばれる建物があります。
農作業をするための建物ですが、日の光を必要とする作業の時は、壁の板をすべて取り外せるようになっているのだそうです。

←現在の「板倉」は、民話を聞く場になっているようです。
「板倉」の隣には、「菊池家曲り家」があります。↓

250年も前に建てられたものを移築したのだそうです。
←「曲り家」からの廊下を進むと、「御蚕神堂(おしらどう)」に入れます。
ここには、千体の「オシラサマ」が奉納されています。
「オシラサマ」は養蚕の神様ですが、目の神様でもあり、女性の病の神様でもあります。
また、その音(おん)から、これから起こることをオシラセ(お知らせ)する、予言の神様でもあるそうです。
その「オシラサマ」には、悲しい民話が伝わっています。
くげさんの「雨月民話風呂」をご覧ください。
「曲り家」というひとつ屋根の下で、馬と人間が一緒に暮らすほど、この地方の人にとって馬は大切で身近な生き物だったのでしょう。
「馬っこつなぎ」という伝統行事も、「オシラサマ」という民話も、その表れだと思います。
←これは、「雪隠」です。
面白いのは、展示物である昔の「雪隠」(左側)の建て屋に、入園者用のトイレ(右側)も設けていることです。

昔の「雪隠」は、渡された板を跨いで、上から下がっている縄につかまりながら、用を足すのだそうです。→

←「雪隠」の中には、こんなのがありましたが、説明はありません。
ただ「使用前」「使用後」とだけ書いてあります。
たぶん、・・・そうなんでしょうね。
使用後のものは、そのまま畑に埋めて肥料にするようです。
そういえば、馬屋にワラを敷くのは、馬の寝床だとばかり思っていましたが、馬の糞尿を含むワラを、馬に踏ませることによって発酵させ、よい肥料を作るためだということです。
何事も無駄にしないという先人の心掛けには、本当に頭が下がります。
そんなことを書いていた日の新聞に、こんな記事が掲載されていました。

今の時代でも、考えている人は考えているんですね。しかも、実行しているところが尊敬できます。
それにしても、「蕗」(ふき)の名前の由来って、「拭き」だったんですね。
ということで、今日の話はここら辺が落としどころでしょうか。
次回は、いよいよ遠野の町なかを、ご紹介する予定です。


駐車場に建てられた石看板には、三頭の馬の絵が描かれています。
これは、遠野の伝統行事「馬っこつなぎ」で使われる、お札の絵柄だそうです。

それにしても、いい雰囲気の川です。
ここもまた、民話のふるさとの景観を壊さぬよう、配慮されているのが分かります。

←「伝承園」の案内看板です。
園の入口で管理棟にもなっている「乗込」という建物は、農家で物置や作業場として使われていた納屋を、移築したものだそうです。

入口を入ると正面に、「板倉」と呼ばれる建物があります。
農作業をするための建物ですが、日の光を必要とする作業の時は、壁の板をすべて取り外せるようになっているのだそうです。

←現在の「板倉」は、民話を聞く場になっているようです。
「板倉」の隣には、「菊池家曲り家」があります。↓

250年も前に建てられたものを移築したのだそうです。

ここには、千体の「オシラサマ」が奉納されています。
「オシラサマ」は養蚕の神様ですが、目の神様でもあり、女性の病の神様でもあります。
また、その音(おん)から、これから起こることをオシラセ(お知らせ)する、予言の神様でもあるそうです。
その「オシラサマ」には、悲しい民話が伝わっています。
くげさんの「雨月民話風呂」をご覧ください。
「曲り家」というひとつ屋根の下で、馬と人間が一緒に暮らすほど、この地方の人にとって馬は大切で身近な生き物だったのでしょう。
「馬っこつなぎ」という伝統行事も、「オシラサマ」という民話も、その表れだと思います。

面白いのは、展示物である昔の「雪隠」(左側)の建て屋に、入園者用のトイレ(右側)も設けていることです。

昔の「雪隠」は、渡された板を跨いで、上から下がっている縄につかまりながら、用を足すのだそうです。→

←「雪隠」の中には、こんなのがありましたが、説明はありません。
ただ「使用前」「使用後」とだけ書いてあります。
たぶん、・・・そうなんでしょうね。
使用後のものは、そのまま畑に埋めて肥料にするようです。
そういえば、馬屋にワラを敷くのは、馬の寝床だとばかり思っていましたが、馬の糞尿を含むワラを、馬に踏ませることによって発酵させ、よい肥料を作るためだということです。
何事も無駄にしないという先人の心掛けには、本当に頭が下がります。
そんなことを書いていた日の新聞に、こんな記事が掲載されていました。

今の時代でも、考えている人は考えているんですね。しかも、実行しているところが尊敬できます。
それにしても、「蕗」(ふき)の名前の由来って、「拭き」だったんですね。
ということで、今日の話はここら辺が落としどころでしょうか。
次回は、いよいよ遠野の町なかを、ご紹介する予定です。
【岩手・遠野「伝承園」】