2020年10月17日

史跡看板散歩-211 中里見町光明寺の勝軍地蔵尊堂

中里見町の国道406号線沿いにある、「茶々テラス」
その脇の道をずーっと入って行きます。


200mほど行くと、「光明寺」の鳥居があります。


「黒門」と呼んでいるようです。


「黒門」の右手前に建っているお地蔵さんは「榛名町指定重要文化財」、現在は「高崎市指定重要有形民俗文化財」となっています。


「黒門」を潜った左側には、大きな「馬頭尊」碑など、いろいろな石造物が並んでいます。


里見氏累代が祀られていた「智泉院」の旧跡だという石柱と看板も建っています。



山門を潜った左奥にあるのが、「勝軍地蔵尊堂」です。



ほほー、「将軍地蔵尊」榛名山から飛び去り、その光明が留まった所に建立したのが「光明寺」ということですか。

その手前に、ちょっと錆が進んでますが、「新田義貞公旧里碑」と書かれた標柱が建っています。


碑の篆額では「新田公旧里碑」となっています。


明治二十三年(1890)に地元の歴史研究家・里見水戸之介が、新田義貞の郷里である里見郷に、それを顕彰する一片の石標もないことを憂い、東奔西走して建碑に至ったそうです。

境内には、里見氏の塋域(墓域)があります。


その玉垣の前に、「茶聖利休居士太祖之塋域」と刻まれた石柱が建っています。


利休の祖先が、里見氏だという訳です。
この件については、グンブロガーの荻原悦雄氏が詳細な記事にまとめていますので、そちらをご覧ください。
   ◇茶聖千利休

また、里見義成氏著「新田氏支流里見氏」には、そのことが分かる系図が掲載されています。
  ◇毛野中世の武士団と千利休への系譜

そして、中曽根康弘元首相のこんな句碑も。
  「くれてなお 命の限り 蝉しぐれ」

今日、1億9千万円を超える費用をかけて、内閣と自民党の合同葬が執り行われました。
その費用の半分は、税金から支出されるそうです。
  「くれてなお 命の果てに 金しぐれ」
と、詠みたくなってしまいます。

中曽根康弘氏の祖父・中曽根松五郎は、里見村神山に材木店「古久屋」を設け、一代にして巨万の富を築きました。
その子・貫一は二代目松五郎を襲名し、高崎に店舗並びに製材工場を設け、これまた親に勝る業績を収めました。
その二代目松五郎の次男が、康弘氏という訳です。(里見村誌)

なかなか侮れぬ、里見町です。


【光明寺】


  


Posted by 迷道院高崎at 19:02
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