2020年08月23日

史跡看板散歩-202 下大島町の春念仏供養地蔵?

「大嶋神社」のすぐそばに、石造物の建ち並ぶ一角があります。



史跡看板には、「春念仏供養地蔵立像」と書いてあります。


「寒念仏」というのは聞いたことがありますが、「春念仏」というのは珍しいな、と思って台座を見ると、こう刻まれていました。
「寒念仏」ですよねぇ。
春はどこから来たのやら。

そもそも「寒念仏」とは、「一年でもっとも寒さの厳しい小寒から立春の前日までの30日間にわたり鉦をたたきながら声高く念仏を称え、仏堂・山内・墓地・街頭などを巡回し報恩感謝を表する念仏。念仏者の寒行ともいえる。」(新纂浄土宗大辞典)
ということで、厳寒だからこその功徳であって、暖かくては有難味も少ないでしょう。

すぐ近くに、お地蔵さまより10年も前に建てられた、宝暦四年(1754)の「寒念仏供養塔」もあります。


その隣には、二基の「馬頭観世音」

大きい方には、「征露役為徴發馬匹供養」と刻まれています。
日露戦争の時に、農耕馬を軍馬として徴発されたんですね。

「寒念仏塔」の後ろには、六角の石灯籠があります。
各面にお地蔵さまが彫られているんですが、その内二面に穴が開いています。

これは、どのように使われた物なんでしょうか。
笠を取って、燈明でも入れたんでしょうか。

その他、やたらとでかい「弐十二夜墖」(二十二夜塔)とか、見事な彫りの「青面金剛像」もあります。


一つだけ、分からない石仏があるんですが、お地蔵さまともちょっと違うみたいで。


ところで、ここはどういう場所だったんでしょう。
「大嶋神社」のすぐ隣ですから、別当寺でもあったんでしょうか。
「念仏塔」「青面金剛像」、「二十二夜塔」などが並んでいるところをみると、村の人が集うお堂があったんでしょうか。

その辺のことが史跡看板に書いてあると嬉しいんだけどなぁ。


【念仏供養地蔵】