2020年05月10日

史跡看板散歩-187 下台薬師堂の血書理趣分塔

「中豊岡の道しるべ」が建っていたであろう辻から北へ200mほど行くと、「お堂踏切」という面白い名前の踏切があります。

それを見たせいか、踏切を渡った左角の建物が何となくお堂っぽく見えてしまいます。

しかしその感覚は間違いではなかったようで。
建物には「下台公民館」という看板が掛かっていますが、そこにある石碑には「薬師堂」云々と刻まれています。
もとは「薬師堂」だったのでしょう。

よく見ると、前庭に香炉と花立てが備わっていました。

公民館の裏と左側は墓地になっていて、道路に面して史跡看板が建っています。


ちょっとケアレスミスの多い看板です。
パソコンの誤変換と、漢字を出す時の読みがそのまま振り仮名になってるのに、気付かなかったのでしょう。

看板の後ろにいくつかの石造物が建っていますが、その内の一つが「血書理趣分塔」です。


調べてみると「理趣経」というのは3000字以上あります。
「血書」とは言うものの、その全文を血で書いたら、行人塚に入る前に失血死しちゃいそうです。
墨に血を混ぜて書いたものも「血書」と言うらしいですから、きっとそれなんでしょう。

看板の文面からすると、その「血書」は残ってないようで、きっと、僧が入定する時、携えていったのでしょう。
そして、その代わりに建てたのが「血書理趣分塔」なのかも知れません。

看板に載っているこの写真、何の説明もないんですが。

薬師堂のご本尊である「薬師像」らしいです。

高崎市教育委員会発行の「豊岡・八幡の民俗」に、こんな記載があります。
下台の薬師
目の神様である。
十月十三日が縁日で、「おさご」「おさいせん」を進ぜる。
お堂の扉に「め、め」と半紙に書いて貼る。
以前は木彫りの薬師像があったが盗まれてしまった。
現在は石仏である。」

きっと薬師様は「めっ!」と叱ったのでしょうが、盗人猛々しいとはよく言ったものです。


【血書理趣分塔】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:23
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