2020年01月05日

史跡看板散歩-170 棟高の観音堂と大師堂

三国街道(高崎-渋川線)を高崎から北上して棟高町に入り、しばらく進むとこんもりした森が現れます。


棟高「観音寺」跡です。


史跡看板は、「薬師如来堂」の隣に2つ建っています。


なお、この「薬師如来堂」は、飯島富雄氏著「観音寺誌 祖徳流芳」に、こう書かれています。
薬師如来は、明治年間観音寺地区の西南、薬師免と呼ばれている地点から観音堂境内に移されたもので、記念名は無いが専門家の鑑定によれば、室町時代のものと推定されると云う。
この佛様は眼を患っている人が自分の目をこすり、その指で如来の目をこすると快癒すると云う信仰があった。(略)
昭和六十年頃すっかり腐りはててみすぼらしいほこらを、当村田中正己さんが現在の立派なものに建替しものと云われている。
これは田中正己氏の奥さんが眼病を煩い、一日も早い全快を願っての建設寄進せしものと云われて居る。」

看板を見てみましょう。



ここも、9年前に訪れて記事を書いていますので、そちらをご参照ください。
   ◇三国街道 帰り道(1)

その記事では掲載しなかった、「観音堂」堂宇内外の写真です。



御神木の大杉です。

後ろに桜の古木が立ち並び、花の頃はすごくきれいです。

ここには、もう一つ、ぜひご紹介したいものがあります。
「薬師如来堂」の近くにある二つの大きな石碑、その左側の「豆腐来由碑」です。



どんな碑なのかは、過去記事をご覧ください。
   ◇三国街道 帰り道(2)

碑の建立者・飯島靱負氏のことについても調べてみました。
   ◇三国街道 帰り道(3)

話は、これで終わりません。
   ◇三国街道 帰り道(4)

いやー、歴史探索って面白いもんです。


【棟高の観音堂】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:37
Comments(4)高崎市名所旧跡案内板