2019年10月27日

史跡看板散歩-160 金古中宿の道祖神

金古小学校の南側の角に、石造物がいくつか建っています。


一番右に建っているのが、「道祖神」です。



天孫降臨型双体道祖神は、鎌倉街道を辿っている時、和田多中町で出会ったことがあります。

 ◇鎌倉街道探訪記(12)

天孫降臨の神話に登場する「天鈿女命」(あめの・うずめのみこと)は、なかなかにセクシーです。


天孫「邇邇芸命」(ににぎのみこと)が天降る時、天の八衢(あめの・やちまた:道がいくつもに分かれている所)に立って一行を待ち受けていたのが、「猿田彦命」(さるたひこのみこと)。
身長七尺(2.1m)、鼻長七咫(ななあた:1m?)、目はホウズキのように赤く照り輝いていたと言うのですから、これは怖い。

そこでセクシーな天鈿女命を使わして、何者かを訊き出すことにした訳です。
きっと一行を追い返そうと待ち受けてたに違いない猿田彦はその色気にすっかり毒気を抜かれ、「天津神の御子が天降りすると聞き先導のため迎えに来た。」などと、調子いいことを言う始末。

おそらく道案内の道中、猿田彦が口説いたのでしょう、二人は夫婦になったらしいです。
ところがその後、猿田彦比良夫貝(ひらふがい)に手を出して、挟まれて溺れ死んでしまったんだとか。
いやはや男というものは・・・。
(注:多分に迷道院の憶測が含まれております。)

ひとしきり写真を撮っていると、交通安全の腕章をした方がずっとこちらを見ているのに気が付きました。
道端に車を止めておいたので、てっきり叱られるのかなと思ったら・・・。
「これも珍しいと思うんだけど。」と、曲がり角の石を指さします。


「道しるべだよ。」
まったく気が付きませんでしたが、持っていた石筆でこすってみると、なるほど、文字が刻んであります。


珍しいことに、向かって前後左右の道案内が刻まれています。
  左 足門-上郊-長野
  右 箕輪縣道-前橋
  前 箕輪縣道-相馬
  後 三国縣道-東國分


時々こうやって、土地の人に教えられることがあります。
ありがとうございます。


【金古中宿の道祖神】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:10
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2019年10月20日

史跡看板散歩番外編 春の夜嵐お地蔵様

八坂神社石宮の近くにある「常仙寺」は、迷道院にとって思い出深いお寺です。

特にその参道には、興味深いものがたくさんありました。
中でも一番好奇心をそそられたのが、このお地蔵様です。


香炉の台石には、「春の夜嵐 發行紀念」と刻まれています。


ぜひ、このお地蔵さまにまつわる、悲しくも感動的な物語りをお読みください。
ちょっと長い話になりますが。→◇春の夜嵐 昭和のおふさ


  


Posted by 迷道院高崎at 07:45
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2019年10月13日

史跡看板散歩-159 土俵の八坂神社石宮

金古の信号の30mほど北に「八坂神社の石宮」があります。



なかなか立派な彫り物の石宮です。


昭和四十八年(1973)に、お金を出し合って修理をしているようです。


9年前、ここも記事にしていますので、ご覧ください。
  ◇旧三国街道 さ迷い道中記(16)

なお、その記事中、「諸業高名録を発行した金古宿の医薬業者・天田倉蔵」という人が出てきますが、そのご子孫のお宅が今も金古町にあります。


もっと言ってしまえば、この家の築地塀は、旧高崎城の築地塀を移築したものです。
  ◇三国街道 めぐり会い

三国街道金古宿、けっこう面白いところです。


【土俵の八坂神社石宮】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:20
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2019年10月06日

史跡看板散歩-158 土俵の庚申塔

三国街道を横切る「牛池川」に沿って東へ下った所に、「庚申塔」とその史跡看板がある・・・はずでした。


痕跡はあるのですが・・・。


道祖神のカップルだけが、不安気な面持ちで手を握り合い、肩寄せ合って佇んでいます。


すぐ近くで史跡の発掘調査をしていたので、聞いてみました。
「そこに、庚申塔がありませんでしたか?」
「あー、ここ、道路ができるんで、先週移動してたよ。」


聞くと、近くの「土俵住民センター」の所にあるというので、行ってみたらありました。

が、あったのは4基だけで、しかも肝心の「庚申塔」がありません。
痕跡の方は7つあったので、3つ足りません。
その3つの中に「庚申塔」があったはずです。

もう一度、発掘現場へ戻って聞いてみました。
「他にもなかったですかね。」
「うーん、よく分かんないけど、ここの土地の所有者があそこん家だから、知ってるんじゃないかな。」

と言うので、行ってみました。

「庚申塔が建ってた土地が、こちらの所有地だということでしたので・・・。」
「昔、道路ができる時に、あちこちにあったのを、ウチの土地を提供してそこへ並べたんだけど、また新しい道路ができるんで移したんだよ。」
「庚申塔があったと思うんですけど。」
「あー、捨てたんじゃないかな。区長さんなら知ってると思うけど。」

えっ!捨てちゃったの?

で、教えて頂いた区長さんの家を訪ねましたが、あいにくお留守です。
帰ってきた頃を見計らってお電話することにして、いったん引き上げてきました。

もしやと思い、家でストリートビューを見てみると、おー、写ってるじゃありませんか!
中央に写ってるのが「庚申塔」でしょう。

ははぁ、一つだけ残ってた「双体道祖神」は一番手前にあったんですね。
そうか、それで橋の名前が「どうそじんはし」(道祖神橋)なんだ。

きっと、この「双体道祖神」は昔からこの場所に建っていたんでしょうね。
だから、住民センターの方に移さなかったんだ。

その日の夕方、区長さんにお電話してお聞きしたところ、
「移設した4基は毎年この地区でお祭りをしてるんで移設して残した。庚申塔二基と石灯籠一基は、引き取り手がなかったので、やむなく廃棄したんです。」
ということでした。
「史跡看板も建っていたと思うんですが。」と言うと、
「それも一緒に廃棄しました。」とのことです。

「じゃ、どんなことが看板に書いてあったかは、分からないですよね。」と言うと、
「いや、申請した時の原稿が残ってますよ。」と言います。
ありがたいことに、写真と一緒にメールで送って下さるとも仰ってくれました。

ということで、これが送って頂いた「庚申塔」の写真です。


史跡看板の文言はこうです。
正徳と文化の庚申塔
当地には、庚申塔や多数の石宮が祭られています。
この石造物は土俵区内各所から集めたもので、この中で特に貴重なものは二基の庚申塔です。
一基は、正面に「庚申供養塔」と刻し、台座に三匹の猿(見ざる聞かざる言わざる)を浮彫りにした立派なもので、右側の面には正徳三年(1713)巳之天開五月吉日、當村施主五拾七人と建立の年代を刻しています。
他の一基は、自然石を台座と竿石として組立てたもので、竿石の正面に「庚申塔」と刻し、判読できないが筆者名を刻しています。
右側の側面に文化八年(1811)辛未天孟春吉日と刻しています。
二基の庚申塔は、金古宿の歴史を語る貴重な文化財です。

その貴重な文化財が廃棄されてしまったとは、何とも残念なことです。

区長さんのお話によると、庚申塔二基と石灯籠は、元々近くの常仙寺の参道にあったものだそうです。
その参道を市道にする時、道を広げたので置けなくなって移設したと。
今回、常仙寺にも打診し、土俵地区の人たち全員を集めて相談もしたが、引き取り手はなかった。
ついに、その集会で廃棄することに決めたとのことでした。
地区の人たちの無念さが、ひしひしと伝わってくるようなお話でした。

それにしても、残念な結果です。
高崎市として何か成す術はなかったのでしょうか。

うーん・・・。


【土俵の庚申塔があった場所】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:48
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