2019年09月15日

史跡看板散歩-155 中新田の秋葉様と石神群

生原の信号から西へ300mほど、箕郷東小学校入口の信号を南へ入ります。


50mほど行くと、右側の一段高い所に石碑がいくつも建っているのが見えます。


史跡看板は、その先。



ま、いろんなのが建ってまして。


これが珍しいな、と思ったんですが。

何だかよく分かりません。
偏平足さんのブログによると、「水雨天」「吹風天」秋葉山十二天の中の神様で、仏教の「水天」「風天」と同じだそうです。

「水天」(すいてん)は、
仏教における天部の一人で、須弥山の西に住んでいるとされる。十二天の一である。
水の神であり、竜を支配するとされる。もともとはインド=イランの古いアスラ族のヴァルナである。 諸ヴェーダにおいて、ヴァルナは重要な位置に置かれ、天空神・司法神(=契約と正義の神)・水神などの属性をもたされた。
東方ではブラフマン(梵天)に始源神としての地位を奪われており、さらに後には死者を裁くヤマ神に司法神としての地位を奪われ、水神としての属性のみが残った。
仏教に取り入れられた頃は、仏教における十二天の一つ、西方を守護する「水天」となった。」(Wikipedia)

「風天」(ふうてん)は、
十二天の一。もとインドの福徳・子孫・長生をもたらす神。のち仏教の守護神となり、西北を守る。
胎蔵界曼荼羅では赤色の身体に白鬚で、冠と甲冑をつけた老人の姿をとる。」(大辞林)

ということなんですが、それと「蚕神」との関係、「船入」(入船?)とは何か・・・、どうもよく分かりません。
隠居の思いつきですが、「農家にとって、雨も水も吹く風も、無ければ困るし過ぎても困る。お蚕さんもお天気次第。宝船に乗った神様が入って来ますように。」ってことなのかなぁ。

現場からは以上なんですが、前回同様なんか物足りません。
周辺を少しほっつき歩いてみました。

石神群から南へ350mほど行った四つ辻の手前に、何だか面白い形をした石碑が建っています。


向こう側へ回ってみると、「痘瘡輕安 守護神」と彫られています。


「痘瘡」(とうそう)というのは「天然痘」のこと、「輕(軽)安」(きょうあん)は「軽やかに安らぐ」ことですから、疫病が村に入って来るのを防ぐ道祖神賽の神のようなものなのでしょう。

その碑背を見て、ちょっとびっくりしました。

「瑾亭道人書」とあります。
おそらく、あの「瑾亭先生」こと安中文瑛の書なんでしょう。
 ◇史跡看板散歩-137 瑾亭先生墓碣銘
 ◇史跡看板散歩-番外編 関叟庵
いやー、ここでお目に掛かれるとは。
安政五年(1858)の建立、名医・瑾亭先生らしい書ですね。

その四つ辻の足元に、道しるべがありました。

風化して読めない文字もあるのですが、「左生原経しぶ川榛名山道」かな?
その反対側は、「左保渡田経長野六郷高崎」になってます。

さて、箕郷町の史跡看板はこれで巡り終わったようです。
次回からは、旧群馬町の方へ行ってみたいと思います。


【中新田の秋葉様と石神群】

【痘瘡軽安守護神碑】