2019年09月08日

史跡看板散歩-154 生原の厳島神社

生原(おいばら)の信号の南140mほどの所にあるのが、「生原の厳島神社」です。

史跡看板は、参道入り口に建っています。


鳥居の扁額は「弁財天」になっていて、突き当りがその祠のようです。


竹林を背にして、立派な造りの祠です。


看板によれば、この中に石臼の中から発見されたという弁天様が安置されているようですが、そのお姿は拝めません。

池は、この辺にあったんでしょうか。


現場からは以上なんですが、ちょっと物足らなかったので、弁天様について少しググってみました。

いつも池とか水のそばに居らっしゃいますが。
弁才天はヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である。
原語の「サラスヴァティー」は、12世紀に編集されたと言われるインドで最も古い聖典『リグ・ヴェーダ』に現れる聖なる河とその化身の名である。」(Wikipedia)


「弁才天」とも「弁財天」とも書かれますが。
漢字表記は中国の義浄という僧侶がインドに仏教留学した際に、弁天様のご利益から弁才天と意訳します。
川の流れるような、弁舌の達者という意味の神様とされます。
一方、弁天様が日本にもたらされてから、財福の神として信仰がされるようになると、弁財天(旧字体では辨財天)と表記されるようになります。」(神仏ネット)
あ、初めは「弁の才」がある神様だったんですね。

いつも琵琶を持ってますけど。
水の女神であるが、次第に芸術・学問などの知を司る女神と見做されるようになった。
琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形をとっている。密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、『大日経』では、妙音天美音天と呼ばれる。元のサラスヴァティーにより近い姿である。」(Wikipedia)

祀られているのが、たいがい「厳島神社」なのは何故?
日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国とは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視される事が多い。
「いつくしま(厳島)」という地名は、「イツク(斎く。意:心身のけがれを除き、身を清めて神に仕える)+ シマ(島)」から来ていると考えられており、厳島神社の祭神の筆頭に挙げられる女神・イチキシマヒメ(市杵島姫)の名に由来するか、少なくとも同根語である。」(Wikipedia)

なるほど。


【厳島神社・弁財天】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:04
Comments(0)高崎市名所旧跡案内板