2018年11月11日

史跡看板散歩-115 六社稲荷

常盤町の信号を西へ15mほど行くと、左へ斜めに入る細い道があります。
60mほど行くと児童公園があり、その一角にあるのが「六社稲荷」です。




史跡看板は2つ建っていて、その1つからは町を愛する思いと願いが伝わってきます。



「六社稲荷」奉賛会の会長は、中村染工場の先代の社長なんですね。

ところで、この近くには「五社稲荷」というのもあるんです。


場所は「高崎神社」境内の北の端、美保大国神社の前。

「五社稲荷」については、田島武夫氏著「高崎の名所と伝説」にこんな話が載っています。
田町に清水関八という人がいた。
それは明治十四年(1881)十月なかばのことだった。
町を歩いていて現金七百円とその他金券などをなくした。
清水関八は五社稲荷さまの信仰者だったので、その金品が出るかどうか、神狐におうかがいを立てた。
『その紛失品は七日間に得させよう。そのかわり、われをこの地に勧請せられよ。』というのが、神のお告げだった。
関八はこれを拝承した。
はたせるかな、その金品は柳川町のある人の庭内で見つかった。
霊験まことにあらたかのことだった。
そこで関八は一社一窟を設け、社守を置こうとしたが、あらたに一社を創建することは許されなかった。
しかしそれでは神様との約束にそむくことになるので、どうしたらよいか、熊野神社(いまの高崎神社)の神主高井東一にはかり熊野神社に移転した上和田稲荷神社を中心に五社稲荷を合祀した。」

民間信仰トップの座を占めるお稲荷さんは、どこの町にもあっていつも庶民とともにあります。
世情混沌とする今こそ、大切にしたい神様のように思えます。

【六社稲荷】

【五社稲荷】