吉井インター直近の「牛伏山自然公園」入口に、「天久沢(あまくざわ)観音堂」の史跡看板が建っています。
「天久沢観音堂」は、ここから直線距離で400m、道のりでは800mも離れた所にありますので、現在地から観音堂までの略地図が描いてあります。
ぜひ行ってほしいという、地元の方々の気持ちがよく伝わってきます。
ただ欲を言えば、略図の向きを左に90度回転させると図と現地の方向が合うので、より分かり易くなったと思います。
ついでに言えば、案内ルート(赤線)が上信越自動車道の下を潜ってるように描かれてますが、実際は上を跨いでいますので、何かの折に修正して頂けたらと思います。
すみません、部外者がつべこべと。
その上信越自動車道を跨ぐ橋を渡ると、小高い丘の中腹に「天久沢公園」の看板が見えてきます。
駐車場に車を止めて、けっこうな鉄製の階段を上ると・・・、
なかなか、いい眺めです。
そりゃ眺めもいいはずで、武田信玄がここに陣を構えたというんですから。
実は、桜の季節も静かでいい穴場なんですよ。
回廊状になってる桜の並木道から石段を上ると、「天久沢観音堂」があります。
昭和五十九年(1984)に改修された堂には、平成元年(1989)美しい天井絵と欄間絵が施されました。
観音堂の脇に、詳しい由来を書いた看板が建っています。
看板表題の「天久沢陣城」跡が、現在の「天久沢公園」です。
文中の「一郷山城」は牛伏山に、
「新堀城」は多比良(たひら)の普賢寺の所にあった砦です。
位置関係はこうなります。
それにしても、信玄はよくまあここまで出張ってきたものです。
「天久」という馬は、きっと天翔けるように速く走れたのでしょう。
馬に乗れる人はいいけど、ついてくる徒歩きの兵隊さんはさぞ大変だったでしょうね。
大変といえば、観音堂の正面にものすごく急な石段があります。
きっと昔はこれが参道だったんでしょう。
やめようかと思ったんですが、覚悟を決めて下りてみると、「牛伏大橋」の袂に出ました。
やれやれ、また上るしかありません。
162段ありました。
ふー。
「天久沢観音堂」は、ここから直線距離で400m、道のりでは800mも離れた所にありますので、現在地から観音堂までの略地図が描いてあります。
ぜひ行ってほしいという、地元の方々の気持ちがよく伝わってきます。
ただ欲を言えば、略図の向きを左に90度回転させると図と現地の方向が合うので、より分かり易くなったと思います。
ついでに言えば、案内ルート(赤線)が上信越自動車道の下を潜ってるように描かれてますが、実際は上を跨いでいますので、何かの折に修正して頂けたらと思います。
すみません、部外者がつべこべと。
その上信越自動車道を跨ぐ橋を渡ると、小高い丘の中腹に「天久沢公園」の看板が見えてきます。
駐車場に車を止めて、けっこうな鉄製の階段を上ると・・・、
なかなか、いい眺めです。
そりゃ眺めもいいはずで、武田信玄がここに陣を構えたというんですから。
実は、桜の季節も静かでいい穴場なんですよ。
(2006年4月撮影)
回廊状になってる桜の並木道から石段を上ると、「天久沢観音堂」があります。
昭和五十九年(1984)に改修された堂には、平成元年(1989)美しい天井絵と欄間絵が施されました。
観音堂の脇に、詳しい由来を書いた看板が建っています。
看板表題の「天久沢陣城」跡が、現在の「天久沢公園」です。
文中の「一郷山城」は牛伏山に、
「新堀城」は多比良(たひら)の普賢寺の所にあった砦です。
位置関係はこうなります。
それにしても、信玄はよくまあここまで出張ってきたものです。
「天久」という馬は、きっと天翔けるように速く走れたのでしょう。
馬に乗れる人はいいけど、ついてくる徒歩きの兵隊さんはさぞ大変だったでしょうね。
大変といえば、観音堂の正面にものすごく急な石段があります。
きっと昔はこれが参道だったんでしょう。
やめようかと思ったんですが、覚悟を決めて下りてみると、「牛伏大橋」の袂に出ました。
やれやれ、また上るしかありません。
162段ありました。
ふー。
【天久沢観音堂の史跡看板】
【天久沢観音堂】