2018年03月04日

史跡看板散歩-83 山ノ上地蔵尊

山名町の山の上にある、「山ノ上地蔵尊」





「山名八幡宮」の方から来ると下の写真のような向きになって、地蔵尊の三本辻を左に曲がるのが看板にある「古の鎌倉街道」で、上信電鉄西山名駅の方へ下ります。


三本辻を右へ曲がれば看板にある「山本宿」、世界記憶遺産になった「山ノ上碑」へ行く道です。

「山本宿」は、佐野源左衛門常世の説話・謡曲「鉢木」に出てくる「山本の里」のことだそうです。
どんな場面で出て来るかは、過去記事「鎌倉街道探訪記(16)」でご覧ください。

昔の地蔵堂は、簡単な覆い屋でした。


平成四年(1992)地元の人たちにより、立派な地蔵堂になりました。


これも地元の人の作品でしょう、空き缶を利用した風車のモビールが、カラカラと楽しげに回っていました。


ふと、お地蔵様の前掛けを見ると、何か文字が書かれていますが、何と書かれているのか判読できません。


しばらく眺めていて、分かりました。
何か理由があるのでしょう、裏返して掛けられているのでした。
画像処理で反転させてみると、お地蔵様への感謝の言葉が書かれていました。


今も、地元の人にとって、身近な存在なんだなぁと思いました。

看板の最後に書かれている、「百万遍供養塔」
享保年間(1716~1736)に建てられたもので、「光明真言百万遍供養塔」と刻まれています。


「百万遍」というのは、お堂の中で念仏を百万回唱える「百万遍念仏講」のことだと思っていましたが、この地域ではちょっと違う形で行っていたようです。

平成十四年(2002)発行の「みなみやはたの歩み 第3集」に、山名町の石原進さん(85歳)が記憶する「百万遍」の様子が記されています。
山ノ上、天水の百万遍は、今から数百年も昔から伝わったこの地の年中行事として、毎年、土用の三ツ目の日に行われてきました。
山ノ上、天水の人たちが毎戸一人ずつ集まって、山名中を『マイダー、マイダー(南無阿弥陀仏のこと)』と唱えながら、鐘を鳴らして廻りました。
長さ8mもある太い紐に、幼児のこぶしぐらいの数珠玉をいくつもいくつも通してある数珠縄は、とても重いものです。
これを一人の人の身体に巻き付けて歩き廻る訳です。

鐘の音が近づくと、自分の家の近くの道まで出て待っていました。
頭や手足など痛いところをその数珠縄でなぜてもらいます。
又、妊婦などは、おなかを数珠でなぜてもらい安産を祈りました。
(略)
つり鐘は長い棒に吊るした鐘を、二人の男の人が前と後でかついで鐘を鳴らしながら歩きました。
又、木製の大きな柄杓に長い柄の付いたものを持って、この中へお布施を入れてもらいました。
(略)
大正時代の初期に、山名全域に夏病が大流行して大変困った事があり、この頃幾年か中断されていたので、是非とも又百万遍を続けてもらいたいという声が多く出されて、すぐに復活されたことがありました。
(略)
しかし、このような行事は、平成四年まで続きましたが、今はその気持ちがあっても、皆さんが核家族化して毎日が忙しくなり、続けられなくなりました。
現在は、山ノ上、天水の範囲で、お札をつくり、毎戸に配って家内安全を祈るだけになりました。」

文中、「天水」という言葉が頻繫に出てきますが、「山ノ上」同様この付近の字の名前です。
なぜ「天水」なのかということは、過去記事「鎌倉街道探訪記(31)」をご覧ください。

さて、今回の記事も長くなりました。
世界記憶遺産「山ノ上碑」を見に来られた時は、ぜひ、「山ノ上地蔵尊」にもお参りください。


【山ノ上地蔵尊】



  


Posted by 迷道院高崎at 07:26
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