2018年02月11日

史跡看板散歩-80 小祝神社

知らない人には、ちょっと読めない「小祝神社」(おぼりじんじゃ)。
高崎の人は、親しみを込めて「おぼりさま」と呼びます。

史跡看板は、鳥居を潜った先に建っています。



なぜ「小祝」と書いて「おぼり」と読むのか。
「小祝神社」の公式HPによると、
「延長五年(九二七年)成立の「延喜式」神名帳では上野国片岡郡に「小祝神社」と記載され、式内社に列している。尚、同帳では当時の読みとして「オハフリ」と振られている。「ハフリ」は、神に人間の言葉を告げることをいい、転じて神祇官の役職名になった。」
と記載されています。

明治四十五年(大正元年1912)発行「明治神社誌料 府県郷社 上」にも、「小祝」「オハフリノ」と仮名が振ってあります。


昭和十六年(1941)発行「神道大辞典」では、「ハフリ」についてこう書かれています。
往古、神社に奉仕して、祭祀に從事した神職の一。(略)
其の語義に關しては、或は「ハラフ」の義なりとも、或は「ハ」は「羽」で、衣の袖を振り神前に舞を奏したるより起こるとも、また匍匐在(はふり)とて神前にはひ侍ふ意であるとも稱する。(略)
また『日本書紀』神功皇后の巻に、紀伊國小竹社の祝、天野社の祝などと記してゐるより見れば、當時已(すで)に神を祀るものを指して、祝と稱してゐたのであらう。」

じゃ、その前についている「小」「オ」は何なんでしょう。
同辞典によると、信濃の諏訪神社の神職には「大祝」「權祝」「擬祝」「副祝」という位があったということなので、「小祝」というのも位の一つなのかも知れません。

「ハフリ」は音では「ホウリ」なので、「オホウリ」「オホリ」「オボリ」となったのでしょう。

祭神は、「少彦名命」(すくなひこなのみこと)。
(看板には「少彦名命(すくなひこのみこと)」とありますが、誤りでしょう。)

この神様、実に特異な神様でして。
「古事記」によると、「大国主命」が出雲の御大(みほ)の岬にいると、波に乗って近づいて来たといいます。


とにかく体の小さい神様で、お父さんの「神産巣日神」(かみむすびのかみ)の指の間から漏れ落ちてしまったというんですから。
その体の小ささから、一寸法師のモデルではないかとか、アイヌの神様・コロボックルではないかとか言われています。
もしかして、その小さな神様を祀っているので「小祝神社」

ブログ駆け出しの頃、とんでもない妄想記事を書いています。
  ◇コロボックルは高崎にいた

正徳年間(1711~1715)に高崎城主・間部詮房(まなべ・あきふさ)によって造営されたという社殿、なかなか見事なものです。




新しい史跡看板には書いてないのですが、古い史跡看板には境内に「芭蕉句碑」があると書いてあります。


どこにあるのか探し廻りましたが、燈台下暗し、看板の真下に隠れてました。


面白いところでは、「小祝神社甚句」という看板もあります。


相撲甚句で「小祝神社」のことを唄いあげています。
因みに「相撲甚句」「都々逸」と同じ、七七七五でできています。
合いの手まで書き込まれているので分かりにくいですが、七七七五で味わってみて下さい。

面白い神社です。


【小祝神社】