2017年03月26日

史跡看板散歩-37 鏡宮神社

小八木町「鏡宮(かがみのみや)神社」です。




祭神の「天神」とあるのは、たぶん「天神」の誤りでしょう。
「天懸(大)神」の御神体は鏡で、天照大神の御霊代だと言います。
また「石凝姥命」は、天照大神が天岩屋にお隠れになった時、御心を慰めるために、天香山から採取した銅を用いて鏡を鋳造した冶工だそうです。
看板にある「鏡を祀るために祭祀した二柱の神」は、まさに鏡にゆかりの深い神様なんですね。

もうひと柱の「木花咲夜姫命」、看板のふりがなが「・・・めい」となっていますが、これはむろん「・・・みこと」ですね。
おそらくパソコンで「命」の字を出すのに、「めい」と入力して変換し、それがそのままふりがなになっちゃったんでしょうね。

「木花咲夜姫命」は、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻になる神様です。
瓊瓊杵尊が天下る時、天照大神が授けた三種の神器のひとつが、「八咫鏡」(やたのかがみ)です。

昔の人はそんな神話をよく知っていて、鏡にまつわるこれらの神々を「鏡宮神社」の祭神としたのでしょう。

鳥居を潜るとすぐ右手に、前からある由緒看板が建っています。


だいぶ劣化してきていますが、高崎五万石騒動の指導者・小園江田宮(丹宮)の書による「鏡明碑」があると書かれています。

これが「鏡明碑」なんですが・・・。


これを、こう読めというんですから恐れ入っちゃいます。
南西東北中行ながきよや(長き夜や)
風乘雨照生人ゆめのうてなに(夢の台に)
三九通八卦さくつばき(咲く椿)
實於葉能孝子傳みをばのこして(実をば残して)
蔂名迺千里顯流はなのちりける(花の散りける)

特に初めの二行、どうしてこう読めるのか、さっぱりです。
どなたか解説して頂けませんか。

明和六年(1769)に再建されたという本殿、なるほど立派な造作です。


本殿の右奥に、もうひとつ史跡看板が建っています。



7行目の、「城峯神社(小八木村は矢納税の社)・・・」というのが気になっちゃいました。
「矢納税」・・・、いろいろ調べてみたんですが分かりません。

降参して、看板を設置した観光課にメールで問い合わせたところ、2、3日して回答を頂きました。
「矢納の社の間違いでした。」
ははーん、「納」の字を出すのに「納税」で変換して、「税」の字を消し忘れちゃったんでしょうね、きっと。

因みに、「矢納」という地名は、大和武尊の東征伝説に由来しているようです。 →  ◇「神川の伝説」

境内の左奥に、こんな看板も建っていました。


看板の後ろに転がっているのが、その「巨石」らしいです。


なかなか見所の多い「鏡宮神社」ですが、その周辺にも「おっ!」と思うものがいろいろあります。
近くの交差点角には。


隣りの「妙典寺」には。


それにしても、パソコンの御返還、あ、誤変換には気を付けないと・・・。
自壊、あ、自戒を込めて。

さて自戒は、あ、次回はどこへ行きましょう。


【鏡宮神社】