2016年08月07日

史跡看板散歩-13 高崎電気館(その1)

ここを「史跡」と言うのかどうか分かりませんが、柳川町の一角にある映画館「高崎電気館」の史跡看板です。





「電気館」も、ブログ駆け出しの頃に記事にしていました。
   ◇電気館通り(2009年01月10日)

大正二年(1913)開業時の「電気館」の写真が、「高崎百年」に載っています。

確かに、なかなかモダンな建物です。

「高崎百年」によると、当時はまだ「活動写真」と呼んだ無声映画だったが、連日立ち見が出るほどだったとあります。

この後、高崎には次々と映画館がオープンしていきます。

「新編高崎市史 通史編4」には、高崎の映画館の変遷図が載っています。


このように、かつては沢山あった高崎の映画館ですが、昭和後期になると次々と銀幕が閉じられていきます。

その中にあって、高崎の映画館の走りだった「電気館」が最後までその姿を留めているというのは、この高崎においては実に珍しいことなのであります。

そして今もなお、「電気館通り」という看板を付けた街路灯がずらっと残っているというのも、これまた素晴らしいことなのであります。

ずっと残っていてほしいものです。

「電気館」の裏通りへ入ってみると、古き柳川町の佇まいがそこに残っています。


前回の「高崎藩武家屋敷跡」の時に、作詞家・山崎正の話をしましたが、「電気館」の史跡看板にも山崎正の名が出てきます。

看板には「当館の側に書房を開いていた・・・」とあるのですが、その書房はどこにあったのか。
前回の記事で、「幌馬車書房」という名だということまでは分かっているのですが。

「電気館」近くに昔から住んでいる方数人にお尋ねしたのですが、みなさん山崎正はよくご存知でしたが、「幌馬車書房」というのは聞いたことがないと言います。
ただ、思わぬ収穫もあって、山崎正の両親がこの場所に住んでいた、ということを教えて頂きました。


さて、「幌馬車書房」はいったいどこにあったのか。
次回に続きます。


【高崎電気館】