2011年09月19日

悠久の魂 2011

昨年は雨の中での舞でした。
今年も天気予報では傘マーク、心配していた徳明園での藤間信乃輔「悠久の魂」でしたが、星も見える良い天気になりました。

今年の伴奏は、リコーダー奏者の本多悦子さん。

アルトリコーダーでゆったりと奏でる「五木の子守唄」、その哀調のメロディーに乗せた信乃輔さんの舞に、なぜか鎮魂の思いが心の底から湧き上がってきます。

感性豊かなグンブロガー・蓮明さんの記事と、
行動する髭男爵・いちじんさんの記事もご覧ください。

開演に先立ち、「洞窟観音山徳公園維持会」荒井俊幸理事長と、「高崎信乃輔倶楽舞」小見勝栄会長から、洞窟観音創設者の山田徳蔵翁の紹介がありました。

山田徳蔵翁については、昨年このブログでも少し紹介させて頂きましたが、今日は、小見会長から徳蔵翁の人となりを端的に表すこんなお話を聞かせて頂きました。

徳蔵翁が洞窟観音を建設し始めてから20年、昭和十年(1935)七月十八日付の「時事新報群馬版」に掲載された、翁50歳の時の言葉です。

誰しも蓄財と云うことを考えている。しかし大部分は財を蓄め、それを子孫に残すだけである。
処が、子孫は親の苦心を知らずにそれを浪費し、碌な結果を齎(もたら)さない。
だから自分は、子孫に財を残すことは寧ろ悪い事位に思ふ。
子孫に残す金があったらそれを投じて世の為に尽くすのが真実の人間である。
さうした見地から、自分は全財産を投じてこの公園を完成し、高崎の名所として他よりの吸客に努め、一面洞窟中に観世音を安置し、観音に信仰心を起こさせ、世の為に幾分でも尽くしたいとの心願に過ぎません。
いかなる困難に逢ふも、必ず完成させる覚悟です。」

洞窟観音の完成には、ここからさらに30年を要しました。

藤間信乃輔さんは、昨年たまたま来訪した洞窟観音で、徳蔵翁の偉業を知り、言葉に表せないほどの不思議な衝撃を受けたそうです。

徳蔵翁の深い思いが詰まった洞窟観音・徳明園を、多くの人々に知ってもらうことが、自分に課せられた使命でないかとまで感じたようです。

今の時代に徳蔵翁が生きていたら、この高崎をどのような町にしたいと思うでしょう。
おそらくは、「他よりの吸客」と同時に、「世の為に尽くす」心を養う、「文化満ちる町」を目指すのではないでしょうか。

「悠久の魂」とは、そういうことではないでしょうか。


【洞窟観音・徳明園】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:19
Comments(2)観音山