鶴見町には収税局
小林區署に司令部や
上野鉄道本社なぞ
多くの建物立ち並ぶ
小林區署に司令部や
上野鉄道本社なぞ
多くの建物立ち並ぶ
明治三十年(1897)の地図には、「上野(こうづけ)鉄道会社」しか表示されていません。
場所も「赤坂村」になっています。
それもそのはず、「鶴見町」自体まだなかったんですから。
「鶴見町」は明治三十五年(1902)に下和田村から分かれてできた町です。
地図で分かるようにその辺一帯は水田地帯で、鶴の遊息地だったのが町名の由来だそうです。
当時はいたんでしょうか、鶴が。
日本野鳥の会群馬支部が発行した「群馬県鳥類目録」(改訂版2019.08.03現在)を見ると、迷い鳥の目撃情報が二例あるだけなんですけど。
明治四十三年(1910)の地図には「税務署」(収税局)「小林區署」「司令部」が載ってます。
ただ、「鶴見町」ではなく「八島町」にあるように見えます。
大正十四年(1925)の「群馬県群馬郡誌」で、それぞれの住所を確認してみると。
・ | 高崎税務署 | 八島町 |
・ | 高崎小林区署 | 八島町 |
・ | 高崎連隊区司令部 | 鶴見町 |
「八島町」も「鶴見町」と同じ年に成立した町なので、少し混沌とした時期があるのかも知れません。
さて、「高崎税務署」ですが、創立は明治二十九年(1896)で、初め通町に設置されました。
ところが、明治三十七年(1904)に火災で焼失し、一時下横町の「興禅寺」内に置かれますが、翌三十八年(1905)に八島町の新庁舎に移転します。
「小林区署」(しょうりんくしょ)という名称は現在聞くことがありませんが、いまでいえば「営林署」です。
創立は、明治二十四年(1891)「東京大林区署」の管轄として宮元町に設置されます。
どういう訳か移転の多い役所で、翌二十五年(1892)に鞘町へ、その翌年に柳川町に移ります。
八島町に移ったのは明治四十年(1907)です。
次に「連隊区司令部」ですが、これは大日本帝国陸軍の徴兵・動員・召集・在郷軍人の指導等を掌る機関だそうです。
高崎の「連隊区司令部」は明治二十一年(1888)宮元町に設置され、明治二十九年(1896)下横町の「向雲寺」内に移されますが、翌三十年(1897)に下和田村へ移転します。
その五年後、そこが「鶴見町」となる訳ですね。
「高崎税務署」があった場所は、いま「南小学校」校庭の一部に。
「高崎小林区署」があった場所は、「高崎市美術館」に。
そして、「高崎連隊区司令部」があった場所はここ。
最後に「上野鉄道本社」です。
「上野鉄道」が開通したのは明治三十年(1997)。
五月に高崎-福島間、七月に福島-南蛇井間、九月に終点下仁田まで全通します。
開通当初の様子は、このシリーズ2番に書いていますのでそちらをご覧ください。
◇高崎唱歌散歩-2番 ♪汽車の線路はたて横に・・・
明治末期から大正にかけて「上野鉄道」は経営難に陥り、身売りまで検討されていましたが、大正十年(1921)に山田昌吉が社長となってから起死回生します。
その辺の経緯は、こちらの記事をご覧ください。
◇鎌倉街道探訪記(33)
こうして、歌詞に出てくる施設の内、唯一「上野鉄道本社」(上信電鉄)だけが鶴見町に残っています。
「上信電鉄」へ行って建物の外観を写真に撮らせて欲しいと言ったら、「いま、総務の人間がいなくて、私では判断できない。」とのことです。
古い体質も、ちゃんと残っていました。
仕方がないので、東口駐車場の3階から撮影することに。
かえっていい写真が撮れたかな。